数年ぶりにひと息で小説を読んだ
久しぶりに小説を1日で読み切った
「趣味は読書です。」と人前では自己紹介しているが、実際私はそこまで読書に熱心ではない。正確に言うと熱心ではなくなった。高校時代、文芸部で創作活動をしていて、当時の顧問の先生と揉めて退部してから、小説への興味が少しずつ薄れてしまった。それでも本に対する愛着は残っていて、好きな小説家さんの新刊は欠かさず買っていたが、何となく読みきれず、中途半端なところで読むのを辞めてしまっていた。
大学生になってからは、研究に関する新書や論文を読むことが多くなった。社会人になってからは、自分自身の社会経験の浅さに焦りを感じ、自己啓発本やら実用書やらを買い漁った。娯楽として小説を読むのを忘れていた。
そして、久々に読書に没頭した。物語に吸い込まれる感覚を、数年ぶりに体感した。小説を読むことに対する感想と、作品の感想を、記念に書き散らしておこうと思う。
知らない間に私は人生を積み重ねていた
学生の頃から私は、恋愛小説や登場人物の人間性・感情が鮮やかに描写される小説を好んで読んでいた。自身の知らない人生を、あたかも自分が体験しているような感覚に陥っていくことが、小説を読むことの醍醐味だと感じていたし、その価値観は今でも変わらない。私が小説に求めているのは、私が歩んでこなかった、或いは私の未知の領域における人生の刺激である。その刺激によって自身の未熟さを感じ、まだ私には学べることがある、私には成長の余地があると、前向きな気持ちになれていた。私の知らない世界が、私の脳内で繰り広げられていくのが、非常に楽しかったのだ。同時に年を重ねていく毎に登場人物の気持ちや行動に、共感や理解できる幅が広がっていくことを実感できることも、自身の人生の重なりを感じられて、嬉しかった。
コロナが流行し始めた辺りから、私の中で私の人生の時間はずっと止まったままのような感覚でいた。もっと知らない世界を知りたくて、私の中にある世の中の疑問を解決したくて、関東の大学への進学を選び、地方から飛び出した。新しい刺激を受けられたのは、たったの2年だけだった。後半の2年は、アパートで1人、黙々と与えられた課題をこなし、生のコミュニケーションが無いまま、今はまだ我慢だ、我慢だ、と自分に言い聞かせていたら、社会人になっていた。働きながら、自身の人生に不満があった。ずっと心が二十歳から動いていないように感じて、自分は未熟で仕事も出来ないとほんのり思っていた。私の未熟さは、私の心の時を止めてしまった社会が悪いと、心のどこかで責任を世の中に押し付けていた。
前職でがむしゃらに働いて、売り上げ全国1位という結果は出せたが、私には何か残ったように感じなかった。そんな空虚感も相まって、心のバランスを崩したことをきっかけに、新卒で入った会社を半年ほどで辞めた。私はこの3年間ほど一体何をやってきたのだろう。何もしてこなかったし、何も成長していない。そんな自分を認めたくない気持ちと責める気持ちと、そうやって今在る自分自身を認められず、否定する己がいることにがっかりしていた。
そこで現実逃避も兼ねて、小説が読みたくなった。学生のあの頃のように、恋愛小説を読み耽りたかった。そんな時に、窪美澄先生の既刊の文庫本が出たことを知った。私が初めて読んだ先生の作品は、よるのふくらみだった。私の知らない恋愛がそこにはあって、とろりとしたあたたかい血のような質感の中にある、芯の通ったような力強い物語の流れが衝撃的だったことを思い出した。次の仕事の休みの日に買いに行こうと決めた。
読みたいと思って買った小説のページを開くのは楽しかった。楽しいと感じられることが嬉しかった。あの頃に戻ったようだった。しかし、確実に違う感覚があった。小説の中にある描写で、私にも共感できる場面がところどころあるのだ。とても驚いた。あんなにも大人の小説だと思っていた窪美澄先生の恋愛小説で、少し共感ができる自分がいるのだ。20前半の青い人間が何を、と思う人生の先輩は沢山いらっしゃるだろうが、私の中では大きな変化なのだ。私はちゃんと、人生を生きていたのだと実感した。私の心がちゃんと時間を重ねていたことが、自身の中で証明されたことが嬉しかった。自分を少し認められたように思えて、自分の中の時間が動いたような感じがした。
それでも新しい刺激は沢山あった
自分語りが大分長くなったが、作品を読んだ1番の感想が前述のものなのだ。しかし私もまだまだ若い。人生における成熟度は知れている。主人公の奈美の半分くらいしか生きていないのだから、私の知らない世界が広がっていた。
発売されてまだ数日の作品を(厳密にはそうではないが)、あらすじを詳細に書き込んで感想を述べることは私のポリシーに反するので、内容に直接触れた感想は避けようと思う。
全体の物語の流れを通して、奈美の感情の振れ幅に一緒に振り回されるのがとても楽しかった。私の知らない恋愛の世界がそこにはあって、奈美と一緒に一喜一憂し、奈美の心が氷点下まで落ち込んだタイミングで私も読み続けることがしんどくなり、一度休憩した。第四章のタイトルがアネモネとなっているのを見て、本を閉じた。私は空想家なので花言葉には明るい方だ。章ごとのタイトルの植物を見て、ニヤニヤが止まらなかった。展開を自分の中で予想しながら読み進めることが、非常にワクワクすることだった。自分がドキドキして、心が持ちそうになかった。章のタイトルが植物になっているのは、物語の行く末を暗示しているものなので、読む前から気持ちが浮き立つ。タイトルの植物の名を見てニヤニヤしたり、青ざめたりしながら読んだ。
奈美と同じ目線に立って読み進めたが、私は奈美から見たらとびきり若い女に映るであろう年齢なので、奈美の苦悩は共感ではなく事実として受け取ることが多かった。奈美の視点に立って共感できるのは、公平に対する強い感情の描写が多かった。それ以外で私が共感したのは、息子の玲の家族関係における、玲自身の気持ちや感情だった。私の感性はやはりまだ若いのだと実感したし、自分の置かれている立場も見えた。また、公平が言っていることに対して共感こそしなかったものの、理解ができたことに自分の心の成長を感じた。
そんな風に色々考えたり感じたりしながら読んでいたら、あっという間に読みきっていた。とても心地よい時間だった。長らく忘れていた読書体験の感覚を思い出せて、晴れやかな気持ちになった。
この心のエネルギーを使って、また明日から前を向いて進んでいきたい。
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