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手応えを手掛かりに仕事を続ける
本投稿は音声入力メインで帰着点なく脳内整理をつらつらと書き連ねています。
大層なことを言いそうで言っていないです。
個人で稼ぐのが当たり前になりつつある21世紀現代の日本。
頭の良い誰かが決めてくれた枠組みに沿って定型業務をこなしていたら、それなりに生きられる時代もあったようですが、そんな時代に生まれたかった。…それはそれで大変か。こなせないと弾かれますし。
自由と言うことの幅広さを感じる今月です。
アメリカで映画制作に携わった人から、映像制作の話を聞く機会に恵まれて、映画監督の凄さを少ーし感じました。
台本のト書き一文をとっても、表現の仕方がかなり千差万別で、映画1本1時間2時間作るためにはそんな自由の中からセレクトして作り上げているんだと言うことを感じ、気が遠くなる話でした。作り上げちゃう映画業界の人たちって鉄人級に凄いと思います。
私はSNSでコンテンツを作る作業が多いです。作品として完成させるか、集客力を重視して映え重視コンテンツを作るか、結構悩みながら作っています。
いや、そもそも作品として完成するレベルはめちゃめちゃ高いから、そんなレベルに達することができるはずもない。
盛りすぎとか、映え意識しすぎとかいろいろ言われてしまうSNS界隈です。
それはさておき、投稿した内容が思いのほか反響があり、手ごたえを感じました。もちろん思いのほか反響がなくて、頭を掻きむしりたくなったこともあります。
思いのほか反響があったのは、切り口を、自分の体験と世相を考えて、言葉選びや見せ方を考えて作ったコンテンツがうまくはまったからです。(たぶん。そうだ。)
毎回、自分の作るコンテンツが手応えがあったらいいなぁ。
毎回作るときには勇気を振り絞っています。
他の作り手はもっと楽に生み出しているんじゃないかなぁなんて勝手に想像しつつ、自分は時間がかかってしまって、プチ自己嫌悪に陥りつつ生み出していました。
楽しく作るという感覚が抜けていました。
工場生産のレーンのように、0,0…mmやミクロの世界で、ここの位置に配置すれば、うまく同じものが無限に作ることができると言う生産体制が今のところできません。
こう、量産体制を作るために、似たことが何とかできないものか。
形のないものを生産するのは、物理的な生産とはまた違うのでしょうが。
思いのほか反響があり手応えを感じたコンテンツを振り返り、良かった点を書き出して、次のコンテンツでも読み手に響くコンテンツを作れるように活かしていきたいと思います。なんて地道な世界!
タイトル回収します。手応えを手掛かりに仕事を続けるぞ。