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Le Pianiste 第1章 ③

(前話)

第1章 コンクール ③

 三名のコンテスタントが退場すると、会場に残ったのは審査委員長の杉本教授、音楽評論家の荒川氏、そしてニコロージ兄弟という計四人の審査員に加え、那古野・伊太利亜協会から波多野理事長、そして通訳として同席する羽目になった私、計六名だ。
 まずは、審査委員長の杉本教授がステージに登壇し、改めて審査方法についての説明を行った。と言っても、四人の審査員が各自一~三位を発表するだけのようだ。演奏のどこに基準を設けるのかは各審査員の自由だが、意見が分かれた場合は協議する、というシンプルな審査方法だった。

 まず、杉本教授が演奏者順に、三位、二位、一位と発表した。続く荒川氏も全く同じで、三位、二位、一位だ。演奏に順位を付けるという残酷な行為には、常に賛否は付きまとうもの。しかし、基準をどこに置こうが、誰が判断しようが、あの三人の演奏を聴いたほとんどの人はそう順位付けするしかないだろう。
 この「審査」方法なら、美穂の優勝は間違いない……いや、明確な審査基準があったとしても、実力差は明白だったのだ。
 ところが、予想外のことが起きた。ニコロージの二人が、三位、一位、二位と順位を付けたのだ。ここで、一人目に関しては満場一致で最下位が確定したが、肝心の上位二人については意見が真っ二つに分かれたことになる。ということで、規定通り、審査員による協議で決めないといけなくなった。なるべく通訳の仕事をしたくない私にとっては、好ましくない展開だ。
 杉本教授が、ニコロージに順位の理由を尋ねた。それを機に、話合いが始まったのだが……ニコロージの兄の方が、気難しそうに、そして慎重に言葉を選びながら、理由を話し始めた。普段の彼を知っている私からすると、緊張しているようにも見えた。

「実力は三人目が際立っている。でも……何というのか……そう、音場と音量のバランス、つまり、こんな小さな会場なのにあんなに大きな音で演奏するのは良くないかなと。二人目の方が、会場に合った音を出していた。音場の理解は、ピアニストにはとても重要なことなのでこの順位にしたんだが……マリはどう思う?」
「え? 私は審査員じゃないでしょ!」いきなり話を振られた私は、思いっきり睨み付けてやった。

「市木さん、ニコロージは何と言ってるのかな?」と杉本教授が口を挟んだ。
「三人目が素晴らしかったが、この会場であんなに大きな音で弾くべきではなかった、その点、二人目は良かった、と言ってます」と、かなり、端折って伝えた。そもそも、私に通訳をやらせるのが間違いなのだ。

 ファビオが「今、何を説明したんだ?」といちいち聞いてくるので、「あなたの言ったことを伝えただけよ!」と言うと、「それにしては、短すぎないか?」と疑ってきたので、「要点をまとめただけよ」と言い返した。
 すると、一応は納得したのか、「そうか。で、マリはどう思うんだ?」と、また同じことを聞いてきた。
「だから、私は関係ないの」
「でも、二人の演奏は聴いただろ? 審査員じゃなくても、感想ぐらい聞かせてくれよ」
「どうして? 今は関係ないでしょ! それに、二人じゃなくて三人の演奏を聴いたわ」
「一位と二位の話なんだ。一人目の子は除外していいだろ?」
「まぁそうだけど、除外って言い方はやめてあげて」
「分かったよ。二人目と三人目、マリはどっちが良かったと思うんだ?」
「私は審査員じゃない。あのね、あなた達が日本語出来ないし英語も下手だから、私は通訳として付いて来てるだけなの」
「でも、審査の参考にしたいんだ」
「やだよ。参考になんかされたくないし絶対教えないから! そういうことは、またご飯食べに行った時に話しようよ!」
 ニコロージの二人と軽い口喧嘩しているのを、杉本教授と波多野理事長はポカンと眺めていた。しかし、それまで黙っていた荒川氏が、意を決したように口を開いた。どうやら、ニコロージへの反論のようだ。

「ちょっといいかな? さっきのニコロージさんのダイナミクスの話だけど、僕は違うと思う。ごめん、市木さん、彼らに伝えてもらえるかな?」
「はい、もちろんです!」
 私は、ニコロージの二人に「反対意見が出たよ!」と教えた。

「国吉さんと加藤さん、二人の音量の違いは、僕はただ単にソリストとして持って生まれた音の差じゃないかな、と思うんだ。じゃあ、大きなホールで弾いてもらいましょう! となった時、国吉さんは会場に合わせた豊かな音が出せるのだろうか? 僕はどこで弾いても同じだと思う。たまたま今日みたいな小さな会場には合っていた、そこは僕も認めるけど、でも、彼女が会場に合わせて弾いたとは思えないんだ。コンクールでそんな加減をする人はいない。皆んな限界で弾き込むもんだよ。つまり、彼女の限界があの程度なんだと思う。上手い下手じゃなく、彼女にはあれ以上ピアノを鳴らせないだけだ。そう思わない? 市木さん」
「え? 私ですか? ……そ、そうですね、ピアニストはより大きな音を出したがるというのは、実感としてあります」
 ニコロージの今度は弟の方が「何て言ってるんだ?」と聞いてきたので、「国吉さんは会場に合わせたのではなく、小さい音しか出せないだけだ、ってこと」と更に端折って説明した。

「そんな短い話じゃなかっただろ?」
「だから、要点をまとめたの」
「まとめ過ぎてないか?」
「日本の俳句って知ってる? 十七文字で表現する文化があるの」
「だからなんだ?」
「日本人は、短くまとめるのが得意なの」
「本当は、荒川さんは何を言ったんだ?」
「だから、あなた達は間違ってるって話」
 荒川さんの長い話を数秒で要約したことにより、多分、私には通訳は無理なんだってことを皆んな理解しただろう。

 その時、杉本教授が唐突に口を挟んだ。しかし、その内容はあまりにも支離滅裂だった。
「僕は、言われてみてニコロージの意見も面白いなと思いました。確かに、国吉さんを派遣した方が、成長の跡が刻まれそうで楽しみかもしれません。だから、僕は三位、一位、二位に変更します。皆さんは、変更はありませんか?」

  ——絶句する荒川氏。
 杉本教授の発言には、議論の意思表示は皆無で、結論を急いでいるだけだ。どっちでもいいから、早く決めちゃおう……そう言っているかのように感じた。
 おそらく、ニコロージの二人も妙な空気は感じたのだろう。訝しげに、そして、いつになく神妙な表情で私に言った。
「マリ、通訳なんてやりたくないのは分かってる。でも、さっきの杉本先生の発言は正確に訳してくれないか?」
「分かったわ。でも、なるべくそのまま伝えるけど、私には意味が分からないからね。彼は、あなた達の意見は面白い。国吉さんを派遣した方が成長の経過を見る楽しみがある。だから、三位、二位、一位に変更する……だって」
「そうか……」
 そう言ったきり、双子は黙り込んでしまった。


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