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伊丹空港の記憶(シロクマ文芸部)

懐かしい 伊丹いたみだわ
ずっと前に忘れていた
でも あなたを見た時
時間だけ後戻りしたの


 松田聖子の「SWEET MEMORIES」がヒットした頃、関西人にとって「伊丹」といえば「空港」を意味する単語だった。なので、「痛みだわ」を「伊丹だわ」と聞き間違えたのは、私だけではないはずだ。(きっとそうだ!)
 面白いもので、「伊丹」と勘違いしたままでも、何となく意味は通じてしまうものだ。偶然再会してしまった二人、場所は空港、懐かしい記憶が蘇り……と、古めいたトレンディドラマのようなワンシーンが脳裏に浮かび、それなりの想像力は必要だろうが、都合の良い解釈なりに成立しなくもない。
 いや、もしかしたら伊丹空港を擬人化する壮大な物語としても、当てはまるのかもしれない。

 しかし、伊丹空港ほど面白い空港はないだろう。そもそも「伊丹空港」という呼称は俗称であり、正式には「大阪国際空港」らしいのだが、その所在地は、大阪府の池田市と豊中市、そして、兵庫県の伊丹市の二府県三市にまたがっているのだ。「国際空港」と名乗るだけあり、全盛期は活気に満ち溢れていた国内有数の空港だった。
 しかし、伊丹空港は、現実的には関西圏の空の玄関口としては明らかに小さ過ぎた。常に混雑し、近隣住民からの騒音や排気ガスなどの苦情も相次ぎ、需要を捌き切れるだけの容量はなかったのだ。
 つまり、限界だった。

 そして、1994年に関空(関西国際空港)が開港され、関西圏の空の玄関は伊丹から泉佐野になった。伊丹からは国際線もなくなった。いや、伊丹空港そのものが廃港されるとの動きもあった。地元民には嫌われ、政治家にも廃港推進派が多く、閉鎖されるのも時間の問題と思われていた。
 しかし、関空は関空で問題もあったのだ。何より、立地的に大阪湾の埋立地に出来た巨大な空港なので、騒音問題とキャパ的な問題はほぼ解消されたのだが、都心部からのアクセスが不便すぎたのだ。
 このことは、日帰り出張などのビジネスマンには忌避される原因になった。今まで日帰りだった要件が、宿泊しないといけなくなったケースも出てきたのだから、当然だろう。地域によっては、関空を利用するぐらいなら新幹線を選択することも増えただろう。
 結果、伊丹の国内線はしぶとく生き残ることになった。関空開港時は、急激に利用者が減り、近隣施設の賑わいも失われたのだが、数十分で梅田や新大阪、神戸にまで足を運べる立地は、特にビジネスマンには重宝されていたのだ。なので、次第に勢力を取り戻すようになり、2000年頃には旅客数も便数も、関空開港前と同水準にまで回復したのだ。

 国内線だけの運用になったにも関わらず、伊丹空港はその後も以前のような活気を取り戻したのだ。また一度どん底を体験した為か、今度は近隣住民や自治体からの支持層も増え、色んな制限を設けつつも共存していく道を見出したのだ。
 しかし、面白くないのは国土交通省だ。関空の経営が好ましくなかったのだ。利用者も離発着数も伸び悩み、いつしか巨額の赤字に苦しめられていた。明らかに、予想外にしぶとかった伊丹のせいだ……とお国はそう考えてしまうものだ。
 そこで、国土交通省は、伊丹空港の機能を制限したのだ。伊丹を利用できる航空機を小型航空機だけに限定したり、国内長距離便は関空に移転させたり。あからさまな関空の救済措置といえよう。しかし、これはあまりにも短絡的過ぎた。
 予想通り、この措置には、伊丹空港利用者の八割以上が反対したばかりか、沖縄や北海道の住民からも反対表明が相次いだのだ。つまり、国内線利用者にとっては、関空だと単純に不便過ぎるのだ。

 何処にどういう利害があるのか……国規模で全体を俯瞰するのと地元住民視点では、同じ景色は見れないだろうとは思う。しかし、現実的に関西圏の国内便は、伊丹と関空で激しく奪い合うことになっていたのだ。

あの頃は 若過ぎて
悪戯に 傷つけ合った二人


 2011年には、伊丹空港のある豊中市や池田市、伊丹市が、なんと北海道や沖縄県、鹿児島県の自治体と共同で、伊丹空港からの国内長距離便の増便や復活を求める要望書を国土交通省に提出したのだ。
 国としても、住民からここまで反対されるとは思っていなかったのだろう。しかも、地元民だけでなく、遠く離れた沖縄県や北海道、鹿児島県などからの要望も強く、即ち、国民からの要望に近いという判断をしたのだろうか、翌年には一部が実現することになった。しかし、その裏では、関空と伊丹の経営統合もあったのだが。

 ちなみに、伊丹空港の正式な名称は、いまでも「大阪国際空港」なのだ。そもそも、伊丹市は兵庫県の自治体だし、今では国際線は飛んでいない。しかし、国際線を復活させようという動きもあり、実験的に中国へチャーター便を飛ばしたりもしている。
 もしそれが実現すると、「歴史は繰り返される」可能性も否めないのだが、それでも「懐かしい伊丹」の活気は、今となっては「失った夢」であり、美しく美化されているのだろう。
 その執着は、残された名称から窺える。

失った夢だけが 
美しく見えるのは何故かしら
過ぎ去った優しさも今は
甘い記憶 sweet memories



#シロクマ文芸部
#懐かしい

久しぶりに参加させていただきますm(__)m