見出し画像

Le Pianiste 第5章 ②

(前話)

第5章 トライアングル ②

 ほんの一例として、T大学で時々開催される「キャンパスコンサート」を取り上げよう。
 このコンサートは、年に数回、不定期的に行われているのだが、企画は全て杉本が大学に持ち掛け、大学の文化事業の一環として、また地域住民への還元と称して、多額の運営費を捻出させるのだ。
 ちなみに、ニコロージ兄弟はこのルートから外れた招聘ではあったが、主要関係者はいつもの三悪人。双子によるキャンパスコンサートも、来日中に開催された。きっと、大学が出資したのだろう。
 実際のお金の動きは、先ずは「トータルマネージメント料」等の名目で、大学から波多野の会社に振り込まれる。つまり、大学から杉本には、直接支払われることは一切ない。大学から見ると、杉本教授は何て熱心に文化事業に取り組む人なんだろう、という間違ったクリーンなイメージを植え込まれるという効果も生まれる。
 しかし、波多野が受け取る予算のうち三割近くは、「顧問料」として、結局は杉本に支払われるのだ。この時の杉本は、T大学教授の杉本ではなく、音楽評論を中心とした個人事業主としての杉本で、勿論同一人物だが、大学は関知しない。
 つまり、「文化事業」という美しい仮面の下で、間接的に大学からお金を貰う手段を開拓したに過ぎない。杉本は、実は名前を二つ持っているのだが、同じように「顔」も二つあるようだ。

 杉本へ支払い残った中から、そのまた半分近く、つまり、総額の三割ぐらいは演奏家へのギャラに充てられ、マネージャーのアントニオに支払われる。その内、アントニオがどの程度ピアニストに支払うかは、実は誰も知らない。おそらく、アントニオが連れてくるピアニストは、ほぼ全額実費で来日しているはずだ。
 そして、最終的な残金が、波多野の実際の運営費となる。しかし、この時点で見ても法外な金額が残っている。しかも、波多野には大して出費はない。
 例えば、受付等の人材は、全て「宿り木の会」を通じ、ボランティアを集める。ピアノの調律は、大抵は私も含めた卒業生、若しくは専門学校の教員が行うし、ホールの運営は大学の職員が行うのだ。なので、実際の出費は、パンフレットやチラシなどの印刷物と花代ぐらいだろう。これも、「宿り木の会」のメンバーのツテで賄えるそうだ。
 しかも、チラシの裏面には学校の宣伝が入るという効果もあるし、来日ついでに知り合いを通じ、かなりの数の公演を売ったりもしているのだ。ちなみに、ニコロージも学校の記念コンサートの為に招聘したのだが、ついでに付き合いのある色んな人に公演を売ったのだ。

 杉本にも、副産物的効果が多々ある。
 来日ついでに、全権力を掌握するK市市民オーケストラのソリストをやらせることも出来る。この時は、K市から……いや、もう書くまでもないだろう。
 また、実際のコンサートでは、「講演」「挨拶」「解説」等、色々な名目のもと、彼のトークタイムが必ず盛り込まれている。パンフレットには、ちゃっかり杉本のプロフィールが写真付きで載っているし、本業の「評論家」としての宣伝にもなる。
 また、彼のコンサート前のトークは、実力が未知数の無名ピアニストを、観客に超一流だと刷り込む目的もあり、演奏から目を背ける効果もある。その辺の話術は天才とも言える。
 そして、コンサートが終わると、自分が発掘した優秀なピアニストとして、担当するA新聞や音楽雑誌の批評に載せることが出来る。
 勿論、実際の記事を読んだ読者の中で、該当のコンサートに足を運んだ人間の確率なんて微々たるものだから、有ること無いこと何でも書けるし、実際こういった経緯で来たピアニストについては、全て無条件で絶賛しているのだ。

 コンサートそのものは、無料で解放されることが多い。だから、一般的なイメージも良い。
 しかし、これは必ずどこか(K市やT大学など)が多額の予算を負担しているに過ぎず、色々な意味で、この三者は損をしないシステムが築かれているのだ。つまり、市や大学のお金……イコール、市民の税金や学生の学費の一部が、間接的に好イメージを築きながら、三者の懐に入るシステムなのだ。
 それが、三者が申し合わせたり綿密に計画したわけではなく、ごく自然と出来上がったトライアングルであることが、私には恐ろしく感じる。

 ここでは、三人の悪行の、ほんの一部分だけしか取り上げていないが、さすがにこれ以上は公にしない方がいいだろう。
 つまり……実際は、もっと酷い。そして、私も三者に少しずつ、巻き込まれながら生きている。これは、この三者に限った話ではない。音楽の世界で生きていると、避けようのない「渦」は色んな所で発生しており、知らず知らずのうちに巻き込まれているものだ。


Top / Next