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ひとしずく
もしも、一滴一滴の雨に生命が宿っていたら……
私は、そんな空想をします。
※
一滴の雨が、空から舞い降りています。
彼は考えます。
「僕は、まだ生まれたばかりなのに、落下するしか出来ることがないんだ……この先、一体どうなるのだろう?」
「何故、僕は生まれたの? どうして、生きないといけないの? 死ぬことは出来ないの?」
「生きるってどういうこと? 死ぬってことは?」
一滴の雨には、自らの生命をコントロールすることすら出来ません。
不安だけが募ります。
彼は知っています。
地上に辿り着いた時、あるものは土に吸収されることを。
また、あるものは川の一部分となり、海や湖を構成するかもしれません。
運が悪ければ、水たまりや泥水となり、すぐにまた、蒸発して消滅するのです。
出来ることならたくさんの仲間達と一緒に、大海の一部分として、世界を旅しながら優雅に生命を育みたいなぁ……彼はそう願っていました。
ところが、彼の希望は叶わなかったようです。
風に流されながら彼が舞い降りた場所は、広い広い草原でした。
その土壌は、既に水分が飽和状態でした。
彼は、泥水として、大きな水たまりの一部となったのです。
「こんなところで蒸発を待つだけの運命だったのか……それなら、僕なんて生まれてこなければ良かったのに」
※
明くる日は、打って変わっての晴天でした。
彼は、大きな水たまりの真ん中辺りにいました。
強い日差しを浴び、上の方にいる仲間は、どんどんと蒸発していきます。
このままだと、数時間も経たぬうちに、彼にも同じことが起きるでしょう。
他の仲間達の反応は、様々でした。
彼と同じように、怯えきっているものもいます。
全てを受け入れ、じっと佇むものもいます。
逆に、嬉々として状況を楽しむものもいれば、進んで蒸発に向かうものもいます。
彼は、少しでも長く生き延びたいと思いました。
確かに、こんな泥水の中では、生きている意味は見出せません。
将来に向けて、希望もありません。
生まれてきたことを、後悔しています。
死んだ方がマシだとさえ、思っています。
それでも……彼は死を怯え、死んではいけないという本能が働くのです。
「もっと下の方に行かなければ……」
彼は、必死に下へ下へと降りていきました。
しかし、彼は知らなかったのです。
下の方では、もの凄い勢いで仲間達が土へ吸収されていたことを——。
土壌も乾き始めていたのです。
「しまった……」
気付いた時には、手遅れでした。
あっという間に、彼も土に吸収されたのです。
※
真っ暗な土の中で、彼の体は色んな方向に引っ張られてる感じがします。
いや、全く動いてないのかもしれません。
彼は、ますます怖くなりました。
「こんな思いで死を待つぐらいなら、上で蒸発した方がマシだったのに……」
突然のことです。
彼は、とても強い力で、何者かに吸い込まれました。
抵抗する間もありません。
意識が遠のいていく中、彼はいよいよ死を覚悟しました。
「ああ、ついに死ぬんだな……きっと、これが蒸発なんだな……」
しかし、どうやらそれは違っていたようです。
意識を取り戻した彼は、名前も知らない雑草の中にいることに気付いたのです。
※
彼は、まだ根にいました。
数時間掛けて、ゆっくりと茎を上がっていきます。
そこに彼の意思はありません。
自然と突き進むのです。
押されるでもなく、引っ張られるのでもなく……やがて、彼は葉へ辿り着きました。
他の仲間達と狭い葉脈を突き進み、あっという間に葉の表面へと押しやられました。
そこで、強い日差しを受けました。
とても眩しくて、とても美しい光です。
体がポカポカと暖まってきます。
そして、今度こそ、その時が来たことを悟りました。
何も怖くなんかないことに気付きました。
太陽の光を真っ正面から受け、彼は蒸発しました。
いよいよ空気の一部分となった彼は、自分が滞在していた植物を見ました。
植物は、力強く、空へ向かっています。
彼の体は、ゆっくりと上昇を始めました。
たくさんの植物が見えます。
虫に葉を供給する植物もいます。
動物の姿も確認出来ました。
葉から、土から、池から、そして動物の表面からも、仲間達が次々に蒸発していく姿を目の当たりにしました。
動物に飲まれる仲間も見えました。
自然の大きさを知りました。
そして、瞬間、全てを悟りました。
こんなちっぽけな自分にも、価値があることを知りました。
「そうだったのだ。生きるも死ぬもない。どのような状態であれ、僕は自然の一部分として存在しているんだ!」
空気の一部となった彼は、その後も様々なことを学びました。
幾つかの偶然が重なれば、また一滴の雨になれることも知りました。
※
そして、何百年、何千年と経過しました。
彼は、たくさんのことを見聞きし、学び、経験し、成長しました。
この星の変化も、ずっと見届けてきました。
中でも、人間という生物の誕生が、この星に大きな影響を与えたのです。
水を大切にする人間もいれば、無駄にする人間もいます。
水を巡って殺し合うこともあれば、水を分け合うこともあります。
雨に感謝の祈りを捧げつつ、降り続く雨には困惑し、怯えます。
水で農作物を育みながら、水を汚し、海に流します。
それでも、彼は知っています。
そんな人間達にとっても、水は命そのものであることを。
※
ある日のことです。
彼はまた一滴の雨となり、落下の順番を待っていました。
今度は、何処に辿り着くのだろう?
色んな植物や動物を、渡り歩けるといいな。
出来れば、今度こそ海にも行ってみたいな。
また植物の成長を育むのもいいな。
人間の役にも立ちたいな。
でも、人間に汚されるのは……ま、それはそれでアリかな。
彼は、ワクワクしていました。
ちっぽけな自分の存在を、何よりも誇らしく思いました。
※
もしも、一滴一滴の雨に生命が宿っていたら……
私の空想は、ここまでです。
(了)
本作は、ポール・ギャリコ著、「雪のひとひら」のオマージュとして書きました。
ずっと迷っていたのですが、ウミネコ文庫へ応募させていただこうと思います。
よろしくお願いいたします。