Le Pianiste 第4章 ②
第4章 新境地 ②
数日後、彼女からメールが来た。「近いうちに、また会えませんか?」と。おそらく、コンクールの話がしたいのだろうな……と予想した。
すでに、ニコロージは帰国していた。彼等と美穂の関係も、彼等のコンクールでの考えも知っていた。「マリが判断して……」と、ファビオが言っていたことを思い出した。まだ早いかどうか分からないが、そもそも、適切なタイミングなんて分からない。
ただ直感で……そろそろ美穂に本当のことを話しても良いような気がしていた。
私はコンクールの審査の舞台裏について、無秩序で無責任な審査だったことも含め、知っている限りのことを全て美穂に暴露した。本当は美穂がダントツの一位と評価されていたことや、その上でニコロージが国吉を一位にした理由なども話した。
彼女は黙って聞いていた。もう怒っていなかった。全て話し終えると、私はどうしても聞きたかったことを一つだけ質問した。
「本当にナポリで勉強したかったの?」と。
彼女は言葉を慎重に選びながら、静かに答えた。
「どうなんだろうね……自分でも分からなくて。たまたま波多野さんにコンクールのエントリーをお誘い頂いて、予選もエントリーフィーも免除って言葉に騙されて……元々予選なんてないのにね」
「やっぱり予選ないんだ?」
「ないよ、そんなもん。あとの二人にも聞いたから間違いないよ。皆んな頼まれて出場したみたい」
「まぁ、そんな気はしてたけど。この仕事してると、小さなコンクールでも絶対どこかで何かしらの話は耳に入るんだけど、全く聞いたことないもんね」
予想通り、予選がない大会の決勝だったのだ。それに、三人のコンテスタントも関係者に出場を依頼されただけだった。つまり、協会の箔付けの為に形だけのコンクールを開催して、優勝者を決めていたのだろう。大人の「ごっこ遊び」だ。
そして、誰かをナポリに派遣して、帰国した時にコンサートを開き、ほら、私達のコンクールに出て、私達がナポリで学ばせたところ、こんなに素晴らしいピアニストになった……そう思い込み、そう喧伝したいだけ。ピアニストファーストではなく、どこまでも協会ファーストなのだ。
「正直、今更コンクールなんて興味なかったので断ったんだけどね。でも、しつこく誘われて……それに、演奏家として行き詰まっていたのも確かなので、段々と何かを変えられるかも! って考えちゃったんだよね。マリさんにも黙っててごめんね。出たら勝つ自信があったし、勝ったらしばらくお別れになるよね。だから、何となく言えなくて……」
「あはは、やっぱり、出る前から自信あったんだね」
「リストのトランスクリプションは元々好きだし、たまたま取り組んでた曲だけでエントリー出来たしね。でも、まさか、あの場にニコロージもマリさんもいるなんて思いもしなかったから、本当にビックリしたんだって!」
「いつ気付いたの?」
「ピアノ弾く直前よ! 平常心保つのに必死だった」
「それでミスったら、私たちのせいだったね!」
「ホントそう! でも、幸い……幸いなのかな? 普通にいつも通りには弾けたつもりなんだけどね」
と言った切り、急に美穂は黙り込んでしまった。やはり、ニコロージの配慮とは言え、コンクールで負けた事実は簡単には消化出来ないのだろう。
「ごめん、ちょっと話戻すけど、本当にナポリに行きたかったの?」
なんとなく沈黙が続きそうな気がしたので、私は、もう一度同じ質問を繰り返してみた。
「う〜ん、タールベルクもチャンスがあれば取り組んでみたいと思っていたのは本当。でも、ナポリに行きたいというより、行ってみたら何か変わるかもって思いが強かっただけかも」
「今でも行きたい?」
「今は……どうなんだろう。結果行けなかったんだけど、一位になれなかったことは悔しいのに、ナポリに行けなかったことは悔しくないっていうのか、どっちでもいいやって感じかな」
それは、投げやりや負け惜しみなどではなく、彼女の素直な声だと感じた。
「一つだけ、質問してもいいですか?」と、今度は彼女が聞いてきた。
「マリさんは、あの時の私の演奏、どう思いました?」
私は、正直に答えた。他の二人との比較じゃなく、彼女の演奏について、良くも悪くも、思ったことを全て話した。あくまで、私個人の意見として、一愛好家の感想として。彼女は熱心に聞いてくれた。
「じゃあ、私がナポリに行ってたら、どうなったと思います?」
「美穂ちゃんが優勝じゃないって決定は、私は受け入れられないし、コンクールとしてどう考えても間違ってると思ってるんだけど、今になって思うことはね、多分、ニコロージの言う通りなのかなって。美穂ちゃんには、ナポリ奏法は合ってないと思う」
「どうして?」
「ごめん、合ってないというのは言い方が悪いね。でも、意味ないというのか、今更ナポリで何を学ぶの? ナポリでどうしたいの? って疑問はあるね」
「行ったら行ったで、やっぱりタールベルクのトランスクリプションとか、ナポリ奏法は学べるなら学びたいって気持ちはあるよ」
「でもさ、そんなもの学ばなくても弾けてるじゃん。実際にナポリで色んなピアニストの演奏を聴いたけど、美穂ちゃんより上手い人なんてそういないよ。私なんかより、ずっと長い間向こうに住んでるテルさんも、同じこと言ってたし」
「……」
「確かに、もっと突き詰めるのも大事なんだろうけど、そんなことよりも美穂ちゃんは、もっと……何と言うのか、表面的な華やかさじゃなくて、内面を抉るような、精神の深い所に響くような曲を弾いてみた方が良いと思ってたから」
「例えば?」
「これは、私の勝手な意見だけど、簡単に言えば、伝統的なドイツ物……シューベルトとかブラームス……あと、ベートーヴェン、シューマンあたりもね。あと、ドイツ物じゃないけど、シベリウスとかスクリャービンなんかもいいかもね。要するに内省的な音楽。真剣に取り組んだことないでしょ?」
「うん、全部弾いたことはあるけど、真剣に向き合ったことはないかも。何で分かるの?」
「何となく、そう思ってたから……」
「そうかぁ……それならナポリに行かなくても、どこでも学べるってことね」
「もちろん、ナポリでも学べると思うよ。でも、あのコンクールの特典は、ナポリ奏法を学ばせるってことだもんね。奏法じゃなくて、音楽性に目を向けるべきと思ったの。それなら、わざわざナポリに行かなくてもいいのかな、って」
※
数年後、美穂とは相変わらず調律師とピアニストとして、また気の合う友人として、時々会っていた。でも、あのコンクールのことやニコロージの話は一切しなくなっていた。
やがて、彼女は例の「音楽愛好家」グループに内緒で結婚した。報告すると、それに託けて、記念パーティーを開催されたり、何かと利用されることは目に見えている。そういった「しがらみ」に辟易してきて、「和伊太の会」や「宿り木の会」とはなるべく距離を取るようになっていたのだ。
でも、私には予め、全て話してくれた。そして、新居に納めるピアノを、半年以上掛けて一緒に探した。その間に、独身最後のソロコンサートを那古野で開いた。大成功だったと思う。
コンサートには、杉本教授や波多野理事長など、「和伊太の会」のメンバーも何人か来ていた。本音では関係を断ちたくても、コンサートを行うことは何処かで彼等の耳にも入るだろうし、来場は拒めない。そこまでの拒絶は、この世界で生きる以上は好ましくないだろう。
また、何故報告してくれなかったのだ? と後からネチネチと言われるのも面倒臭い。なので、予め手紙を添えて招待状を送っておいたそうだ。そうされることに喜びを見出す人種だろうし、どうせ当日のコンサート会場が社交場のように利用されるのだろうから、先手を打つという意味で適切な判断だろう。
しかし、彼女の演奏から、彼らの耳に何が聞こえたのかは知らない。多分、私と同じ「音」を聞きながら、私とは違う「音楽」を聞いたのだろう。彼等に、彼女の音楽が届くはずがない。理解出来るはずがないのだ。通過するだけなのだ。
でも、私は気付いた。明らかに、彼女の演奏が変化していたことを。ニコロージの言っていた通り、美穂はナポリに行かなくて、ナポリ奏法を学ばなくて、日本に残って良かったのだと確信した。
美穂の演奏は、完全に一皮剥けていた。どこか吹っ切れていたのだ。
絶大なダイナミクスと精密な技巧に頼る過去のスタイルとは一線を画し、一音一音に深みと重みを乗せ、重厚に音を積み重ねていた。心の奥深くに浸透していくように、精神の根底にある本能的な感情を音に託していた。同時に、今までの美穂が知らず知らず築いていた殻を、一気に突き抜けた解放感にも満ちていた。ニコロージの賭けは、正しかったのだ。
その日のプログラム……前半は得意のイタリア近代物を並べ、後半は全てシューマンだった。
それは、紛れもなく、彼女の新境地が開拓された瞬間だったと言えるだろう。
第4章は以上です。
次回から第5章ですが、1〜2日ほど更新をお休みさせていただきます。
全くの余談ですが、noteのこのアカウントを取得して、何と八周年を迎えました!
2014年10月に初登録して、半年ぐらいで退会、すぐに再登録したものの、直ぐに退会、このアカウントは三回目の登録になります。
でも、1〜2年利用したところで、全記事を削除して休眠状態に突入、そのまま数年間はnoteを開くことすらありませんでした。
それが何を思ったのか、ここを保管庫として使おう!と思い立ち、再起動させて……なんだかんだと使うようになって丸二年ぐらいです。
まだしばらくは続けるつもりにしています。
今後とも、お付き合いいただけますと嬉しく思います。