ギフテッドで大事なこと
私は、ある動画でギフテッドについてやってたのを見ました。
大人のギフテッドという本によると、ネットでのIQはギフテッドの判断には全く意味を見さないようで、大体は自称という人が大半です。
安易に東大だからそして灘高卒だからギフテッドという判断は安易にそうだろうと調べて考えて動画を上げているとしか思えないです。
ギフテッドで有名な方の動画では、WAIS-IVで調べてその中のワーキングメモリや処理速度などので低さから発達障害との違いなどを説明していますが、なぜか独創性について誰も言及していません。
小さい頃の天才エピソードなどあるあるでしかないし、IQが130以上がみんなギフテッドではないようです。あとネットでのIQの高さがそのままギフテッドとなるわけではなく、心理士の判断でしかギフテッドにはならないようです。
独学でできる人や、創造性、私でいうとその場で即興での作曲をするなどは、できる人からすると、なんていうこともなく、ごく自然に勝手にできるのは、それができない人からすると、すごいとなるようですが、そんな事は何も慣れたら簡単なんです。
積み重ねからしかそういう創造性はできないだろうし、天才とgeniusは同じではなくて、元々意味あいも違います。
だからギフテッドという人が本当にそうかは、自分から言う人は怪しいですし、だからどうなんだという感覚でしかありません。
あと小さい頃の教育では、今はYouTubeがあるので圧倒的に理解が早い子供が多くて当たり前です。
いきなり作曲ができることは難しいとお思いですけど、毎週の積み重ねとその後のtitleをつけるのもやはり10年かかりました。もう即興作曲も64曲まで増えてます。
あと私は脳か特化した結果、共感覚もあるし、脳の疾患もありそれが優位に働いたからやれているだけで、それは作品となろうが何も気にしません。この曲を広めたいなども思いませんです。
あとギフテッドだとしても、それであぐらをかいて勉強しないことを良しとする安易な群集心理がとてもイライラします。
どこの大学でもそれは箱物でしかないし、周りのせいにするのはいかがと感じます。自分から10代で勉強の仕方は理解しないと何の大学という勉強をしやすい環境なのだから、学歴厨が中身を見ずに偏差値やとりあえず東大だからすごいと考えずに賢いと勘違いするのですね。
別にギフテッドということで周りに馴染めないというのはその人の子供時代の生きづらさという割にはそれでなにかしたのかと言う人はほとんど見受けられません。
NHKの番組から、ギフテッドということを知った人は多いと思います。でも良く考えてほしいのは、結果を出した人が、ギフテッドだからできたという人を私はテレビでも個人的にも聞いたこともなく、やはり才能もそれをバネにしてやった人しか意味を見いだせません。
50人に1人の割合でギフテッドはいるのは、本当にありふれた多さであり、それしか自慢できないのは、恥ずかしくないのかなとすごい思うし、なにか結果を出した人はその頑張りをギフテッドだからと思わないし、たとえその人がギフテッドだからと記者会見で言う人はテレビの世界ではほとんど皆無に近く本当に自己満足で優位性を見出そうとする心理なのでしょう。
才能もやってみて気づくしそこから地道な努力を重ね、才能があると伸びるのも実力も付きますから、黙って人のせいにせずにしっかりやってください。
批判する人は、何か嫉妬もあるし、できない悔しさと環境からくる浅はかな人であり、安易な物差しでしか判断できないと感じてます。
恵まれたその人の要因には、元々揺るぎない目標に近づきたいという人が結果を出しており、お金にしても後でついてくるので、お金目当ての行動には、稼げたらすごいとなる社会構造もあるしメディアのわかりやすさからくるそこから何かあるという裏の心理や勝ち負けのお互いの気持ちを経験してみんな社会に出ていってやっていると言うことが言えると思います。
何か自分は特別な存在だとか、そうではなくその場において立場的に目立ったりしてそこで人間的な成長が期待できると思うようにしないと、ギフテッドというせっかくの優位性をただの凡人となりプライドだけが大きくなるのは、もったいないと思います。発達障害でギフテッドとわかる結果をそれで満足するのは傲慢だしだから、なんか私はすごいとなるある種の幼稚性が垣間見えます。
やはり一日一日を切に生きる、そのための人生であり楽しさであると思います。そうでないと面白いと思いませんか?私は毎日楽しいです。頑張りましたからね。
今回は、久しぶりに書きました。
またよろしくお願いいたします。