差別的な視線と興味の視線は、受け手からすると同じに感じるか
前回の記事で、「何屋か分からないお店」について少しだけ触れた。自分にとってそのお店が何屋さんなのかは重要なことで、自分がそのお店の商品に相応しい人間かを知らず知らずのうちに判断しているらしい。男性が一人で、女性用の下着屋さんに居たら何か変だろう。もちろん、恋人へのプレゼントを買いに来ているのかもしれないし、たまたま彼女がお手洗いに行っているところかもしれない。性的マイノリティの人が自分で身に着けるために買いに来たのかもしれない。ただ、周りの女性客は「何しているんだろ」と男性客を見るだろう。僕だって、UNIQLOの男性下着コーナーに20代の女性がいればチラッと見てしまう。「同棲相手の下着を買いに来たんだろうな」と思ってすぐ目を逸らす。その視線に悪意がなくとも、受け取った側は少し居心地の悪さを感じる。
ブランドショップでの似たような話。「あいつ金持ってなさそうだから、接客しても無駄だろうな」と思われたのだろう。店員さんに声をかけられなかった話を、何度か聞いたことがある。当たり前かもしれないが、お店は利益にならない客に時間を割けない。ハイブランドは商品ひとつひとつが高額なので、特にその要素が強い。そして悲しいかな、金を持ってそう・頭がよさそう・常識がありそう(まともそう)というのは、だいたい見た目で分かってしまう。外れていることもあるが、1日に何十人も相手にするお店からすれば、そんなこと関係ない。当たりの確率が高い方を選ぶ。
下着屋さんの話とブランドショップの話はまったく意味も中身も違う話なのだが、受け手は同じように「避けられている、ネガティブに思われている」と感じるのではないか。
恐らく僕は劣等感が人一倍強い。劣等感など数値化出来ないものなのだから、人と比べようがないのは分かっている。が、常に自分が場違いなのではないかと周りを見渡す癖を持っている。悲しい。
つまり視線というのは、「相手に興味がある」より「なんじゃこいつ」という否定的なネガティブな意味合いの方が大きいんじゃないかと思う。
知らない人に向ける視線のほとんどが、否定的なものじゃないか。僕はオシャレに疎いにも関わらず、他人のファッションを見るのが好きだ。もしかしたら、視線を受け取った相手は嫌な思いをしているかもしれない。とは言っても、自分が出す視線には気をつけようもない。難しい話だな。
新聞に載っているコラム(天声人語など)は、最後に自分の意見を書くものだが、今回ばかりは自分の意見もクソもヘッタクレもないので書けない。