ソルフェージュとフォルマシオンミュジカル
私がピアノを始めた時、同時にソルフェージュも習いました。新曲視唱(楽譜に書かれた物を歌う)から始め割と早いうちから聴音(聴き取った音を書き取る)もやっていたような記憶があります。その後、自分で思いついた旋律を書いてくるように言われたり(音楽経験が乏しいため、つまらない旋律しか書けず先生に責められたため嫌いでした)、三和音について学んで、(自作の)旋律に和音をつけるという実践もやりました。こういった学びは長じて受験のソルフェージュ、大学の授業でのソルフェージュに役には立ちましたが、音楽を理解するのに本当に役に立ったか、と問われると「どうかなぁ」という思いです。
曲が進んでソナチネを弾くようになり、提示部から展開部を経て再現部に戻るという小規模とはいえソナタ形式の典型のような曲を学びました。そして再現部が出てきたときに「あ、戻ってきた」と先生に言ったら「違うわよ!」と完全否定されてガッカリした記憶があります。その後、楽曲形式について学んだ時「あの時の先生の反応はなんだったんだ?」とモヤモヤを抱える羽目になりました。
フォルマシオンミュジカルの発想ならここで楽曲の形式ということについて話すと思います。実際、ルルがチェロでロンド形式の曲を初めてやった時「ここがこーなって、こういう風になって、また戻って…。こういうのがロンド形式というのよ」と先生(フランスの音楽教育で育ってる方です)がサラッと説明してて、その背景には先生自身もそういった教育を受けてきたからではないかなと思いました。楽器の先生にしても、フォルマシオンミュジカルの基礎があっての指導なので、そういうことを伝えるときでも生徒が「授業で既に習っているか」は関係なく「そういう視点に目を向ける習慣があるか」という姿勢であることを求めているような印象でした。
もちろん、これは数々の経験を経た大人で指導者の立場でもあるから言えることだとは思います。我が子を含め、コンセルバトワールに通う子供自身にはフォルマシオンミュジカルの授業で習うことが音楽の基礎を作るという自覚はないといえます。
半音と全音という概念や音程、調性などについても、フランスで楽器とフォルマシオンミュジカルを並行して学ぶと比較的早い時期に出てきます。自分が習っている楽器以外の楽器についてもフォルマシオンミュジカルの初年度から学びます。日本の個人教師についているとそういった事を学ぶということすら発想にないかもしれませんよね。
日本で出ているフォルマシオンミュジカル関連の書籍は、ほとんどがある程度進んだ学習者向けのものばかりです。私はもっと小さいうちからこういう広く浅い音楽全体の学びが必要だと考えています。