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謎につつまれた「エリーゼのために」その3

前回は、この曲を贈られた女性は誰だったのか、というお話を中心に書きましたが、この曲を調べていると、全く違う角度から見えてきたものがありますので、今日はそれについて書きますね♪

「エリーゼのために」を検索していたら、こんな本に出会いました。中村洋子著「クラシックの真実は大作曲家の『自筆譜』にあり!」。著者は作曲家で、作品は日本よりむしろドイツで認知されているそうですが、この本の中に「エリーゼのために」についての項目があるらしく、早速入手してみました。

ページを開くと、最初に「エリーゼが誰であったかという詮索は、曲を弾くうえで意味はありません」とピシャリ。ここまで毅然と言われてしまうと、「あっ、ごめんなさい!」となります(笑)。著者は、「西洋クラシック音楽は『機能和声』で厳格に成り立ち、その一つ一つの和音が人間の感情を多彩に表現している」という持論をお持ちで、ある和声が曲の中でどういう役割を果たしているか、それを分析することが何より必要、とのことです。

そして「エリーゼのために」の分析が始まりますが、例えば、有名な出だしのメロディの最後は、「レ(低)ド(高)シラ」で終わります。(曲のスケッチを見れば明白なのに、「ミ(低)ド(高)シラ」で終わる日本の間違った楽譜が未だにあるのは驚きだ、とも。)そして、レドシラの「レ」は、和声上、まるで磁石で誘導されるように「ド」に行きたいはずなのに、次の小節には「ド」は無い。これは、中途半端な感じがして、「ちっとも解決しない」ことの表れだと。確かに、そう思って弾くと、一人取り残されたような寂しさを感じます。「『ド』は、どうして無いの?」と。このフレーズは度々登場しますが、左手の「ララララララ」に入る前も同じなので、何度も「ド」が見つからない苛立ちから気持ちが高ぶり、激しさに繋がるようにも思えます。そして、曲の最後も「ついに『ド』は見つからなかった・・」とやるせない思い、せつない思いが残ります。

曲の冒頭のフレーズが終わって、次のシドレミ~♪からの和声の骨格は、小節頭の「ミ、レ、ド、シ」となり、この下降4度は「溜息がでるほど美しい」のだとか。

驚いたのが、冒頭の「ミレ(♯)ミレ(♯)ミシレド」の「レ(♯)」は和声上、飾りなので、冒頭は「ミミミ」と同音連打になる。これは後の左手「ララララララ」の連打に関わっており、「ララララララ」は何の前触れもなく唐突に出てきたものではない、と。へえ~~~、気付かなかった!著者によると、人間の感性は精妙で、気付かなくても無意識の自覚があるから、「ララララララ」が出てきた時は譬えようもなく美しく聞こえるのだとか。

私は、これまでいろいろなピアニストの演奏を聴いてきた中で、私のように作曲家についてあれこれ詮索(笑)するよりも、「楽譜を見れば、そこに全てが書いてあるではないか!」というタイプの演奏家がいるのを感じていました。なるほど、和声分析はこのように行うのですね。著者の考えでは、日本の音大の和声の授業は、本当の音楽の楽しさを伝えておらず、問題だと。西洋音楽の基礎であるバッハの理解も「和声」から入る必要があるのに、「主題」ばかり追いかけるような干からびた「図表」を頭に入れることで、音楽の理解や喜びからは逆に遠ざかっている。その結果バッハ嫌いを養成し、それ以降のクラシック音楽の理解や演奏を困難にするという悪循環を引き起こしている。それがここ数十年、日本から世界に通用する真のピアニストが出ない理由でもある、と。

なるほど。確かに和声の授業はつまらなかったし、バッハも苦手でした。(とても難しいのに、試験やコンクールの最初に必ず弾かされることもあり・・。)和声の分析にしても、「それで?」という感じで、それがどう演奏に活かされていくのかが分からない。でも本当は、和声には様々な力のはたらきがあって、その引力や緩みによって感情が細やかに動くのですね。そのことを、この本は分かりやすく例を挙げて説明してくれていました。この本に出会えてよかった!

ですが、もう一度最初の話です(笑)。「エリーゼ」が誰であったかを探ることは、本当に全く無意味なのでしょうか?私は作曲家の「人間」の部分に興味があって、その「心」にも迫りたい。でも、心は不確かで、なかなか分かるものではありませんね。それでも、想像を膨らませて演奏するアプローチもあるのではないか・・・、それとも「楽譜」を細部まで読むこと、それに尽きるのだろうか・・・、そんなことをここ数年、漠然と考えていて、誰か「作曲」をしている人に聞いてみたいな~と思っていました。

そこへ、先日、高校のある先輩から、その方の同期で作曲家の加古隆さんの「デビュー50周年コンサート」のご案内を頂きました。加古隆さん!音楽高校でなく普通の高校でしたが、音楽界の大先輩として尊敬しており、20年ほど前のサントリーホールでのコンサート後に訪ねた時は、楽屋でとても優しく「音楽」のことや「演奏活動」について語っていただきました。加古隆さんに、今の疑問をお聞きしてみたいと、先輩に加古さんのマネージャーさんのご連絡先を教えていただき、お願いしてみました。すると、OKのお返事が!来月、コンサートの際に上京なさるので、その時にお時間をお取りいただけるそうです。その日は、「エリーゼのために」の楽譜も持って行って、今の私の疑問をぶつけてみたいと思っています!

というわけで、今回は「エリーゼのために」を調べているうちに、「機能和声学」の世界にたどり着き、素晴らしい作曲家の方のお話も伺えることになって、また新たな世界が開けそうです。そう考えると、この曲でいろいろな謎を残してくれたベートーヴェン様には感謝だな~、と思ったりしています♪

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