◇025. 自己肯定感について語りたい
久しぶりにNoteに綴りたいことができました。
最初は、フェイスブックに投稿しようと思ってログインまでしたんだけれども、自分語りだし、結局Noteへ(笑)
自己肯定感について。
私は自己肯定感が低いほうです。なんなら、価値がないと思うこともしばしば。
最近は、自己肯定感を上げようと努力することより、なぜ低くなってしまうのか(しまったのか)を深堀りすることの方が楽しくなったので、この発見を語るためにパソコンをカタカタさせることにしました。
専門家でもなんでもなく、あくまで個人の意見です。
<これまでの経緯>
いじめ → 周りが悪い、自分も醜い → 優越感を感じられるところを居場所とする → 途中から馴染めなくなる → 繰り返す → 共通するパターンがあることに気づく → 自分が原因かもと思うようになる → 自己肯定感という単語を知る → まずは自分を認めようと努力する → なぜ自己肯定感が低いのか調べ始める(今ココ!)
というのも、あるときに自己肯定感が高そうな友人に尋ねてみたことがあります。
「自分のことって好きですか?」
そしたら回答は、
「考えたことない。」
だったんです。
「『質問に答えて』ということであれば、どちらかというと好きなんだと思う。」
この返答を聞いた時は衝撃でしたね。
誰でも一度は必ず自分のことをどう思うのか考えるものだと思ってましたから。
「自分を好きになろう!そのためにまず自分を受け入れよう!」っていう特訓すら要らないのかー、、そもそもそんなこと考える必要すらないのかいっていう。
この質疑応答がきっかけで、なぜこんなに考え方の違いが出るのかに興味を持ち始め、完全に自己流ですが動画コンテンツやブログなどで探すようになりました。
よく言われているのは、幼少時代の家庭環境や教育起因のもの。
私の家庭環境は、ありがたいことに特に不自由することもなく、家族仲良しでやってきました。それなのに、なぜ。
そこで見つけた私なりの結論は以下になります。
(完全に親のせいにしてます。ごめんなさい。)
①親が間違った謙遜をする人
②親が転ばぬ先の杖派の人
①は、良かれと思ってやっている謙遜があまりよろしくないケース。
身内を下げる発言など、です。
私の両親は非常に腰の低い人だと思っています。(こんなこというのは失礼承知ですが)同時に謙遜と自己卑下が混同してしまっているように思えます。
例えば、近所の人から子供(=私)が褒められたときに
「そんなことないですよ~、うちの子はまだまだこんなこともできなくて。」
という返しを何回か耳にした覚えがあります。謙遜のつもりかもですが、子供の私は無意識的に傷ついていたんだと思います。
「自分はこんなこともできないのか・・・」と自分で自分のことをダメ出ししちゃうことを繰り返すようになってたんだと思うんですよね。
そして、親の謙遜のやり方や在り方が正しいと思って生きてきたので、大人になった今でも過剰に自分を下げることが多いです。考えすぎ、自分卑下しすぎとよく言われますが、むしろ、自分を下げているときのほうが気が楽という次元なのかも(苦笑)
②は、転ばぬ先の杖=失敗しないように親が先回りして動いてしまうというケースです。
部屋の片付け、習い事、家事全般、進路、なんなら自由研究の内容決めも。
部屋の片付けが特にいい例で、片付けなさいと一言言われはするのですが、めんどうくさくて後回しにしていると親がさっさとやってしまう。で、あとでブツブツ言われる。
親の考え通りにして、親がやってることに従っておけば、失敗もなく安心でした。今振り返ってみれば、やりたいことが何なのか聞かれたこともないですし、物心がつく前に始めた習い事をこの先続けるのかどうするのかと問われた覚えもありません。(やり続けるのが当たり前という空気)
実際、失敗が少なかったので多少のストレスだけで生きてこれました。もしかするとこれは恵まれていた環境だったのかもしれないので、感謝すべきことではありますが、結局大人になった今、自分で決めることに対して「怖い」という気持ちが先行してしまいます。誰かの後押しがないと安心できない。
結果、「何も決められない自分は情けない」という気持ちから自分を受け入れづらくなり、自信の喪失や自分の価値を下げることに繋がっているように思えます。
細かく挙げればもっとありますが、大体はこんなところかなと。
ただ、一方的に親のせいにしていますが、親側もこのように育てることになった理由があるはずなので、親を「責める」ではなく「理解」できるように努力したいと考えています。かなり上から目線な考え方ですけども。。
私自身、親ではありませんが、もしいつか親になったときには、自分のような苦しみを味わうことがないように伸び伸びと育てたいな・・・と思ったり。
ふとした時に親を責めそうになる時もありますが、むしろ、今、少しずつでも気がつけたことが良かったのかなと思ったり。
一方的すぎる語りだったのですが、
最後までお付き合いくださりありがとうございました!
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