この世に悪が存在する意味

おはようございます。
心理カウンセラー 池田廉です。

この記事では、経済学者マルサスの教えをもとに、
私の考察を交えながら「この世に悪が存在する意味」について解説します。

善悪の判断は非常に曖昧で難しいものです。
しかし、道徳観念に則り、その行いの良し悪しは自身で感じているものでしょう。

人間の本質を考えれば、誰もが満足し、平和に暮らせる理想社会は実現困難で、
過去に救貧法を用いたものの逆に食料価格の高騰を招いた事例もある。

貧しい人を救う法律である「救貧法」は善い法律に見えますが、
なぜ失敗となり終わってしまったのか。

そこには2つの要因があります。

①貧困層の出生率上昇に繋がり、社会の貧困に拍車がかかる

②庶民から節約と勤労の意欲を削ぎ、生きる力を奪ってしまう

これらの2つの要因が、救貧法を失敗へと繋げたのでしょう。

そこでマルサスはこのように説きます。

悪徳も貧困も受け入れた上で、現実的な社会のあり方を考えよ。

人口の法則をただの害悪だと思ってはいけない。

いかがでしょうか。
悪徳も貧困も受け入れることを推奨しているのです。

なかなか受け入れ難い発想かもしれません。

しかし、悪徳や貧困を無くすことは非現実的であるという視点は適切であり、
どのようにより良いバランスの取れた社会を作れるかを考えることは重要です。

ここで、イギリスの哲学者 ジョン・ロックの言葉を紹介します。

「人生における活動に刺激を与えてくれるのは、快楽よりも苦痛である。」

この言葉に私はとても頷けました。
食べ物でも、甘いものばかりだと飽きてしまいますよね。
時に辛く、酸っぱく、刺激的なものを欲しますよね。

人間の本能とはそういうものであり、受け入れる方が自然ですよね。

害悪を避けたいという気持ちが人間を成長させてきたのです。

生きることの厳しさと、異常な事態が才能を開花させ、精神を育むのです。

人生の悲哀を知り、才能に恵まれずとも、思いやりのある人間になりなさい
とマルサスは説いています。

ここに、この世に悪が存在する意味が隠されているように感じます。

また、マルサスは、二通りのタイプがあると言います。

①才能に寄りかかる人

②思いやりで支える人

あなたは、どちらの人物になりたいでしょうか?

自分自身の才能を把握し、活かし、他者や社会に貢献することも素晴らしいです。
一方で、才能がないと感じられても、思慮で人を支えることも素晴らしいのです。

苦痛が人を進化させ、共感力を育むのです。

苦痛がなければ、進化もないし、共感力が育まれないのです。

この世に悪が存在するのは、絶望を生むためではありません。
行動を生むために存在しているのです。

私たちは、悪や苦痛を耐え忍ぶのではなく、それを薄める、無くすために、
努力を続けないとならないのです。

悪を自他ともに除去できるように、最大限の努力をする。

それはすべての人間の利益であると同時に、すべての人間の義務なのです。

これらのマルサスの言葉を踏まえ、悪や苦痛に向き合える心を持てる
きっかけになれますと幸いです。

最後までお読みくださり、ありがとうございました。


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