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文系社員がシステムエンジニアを目指すことになった話

みなさん、こんにちは。

note始めてから2回目の投稿です。

自己紹介のあとで、まずは1回目の記事として何を書こうかなと考えたのですが、もう少し自己紹介的なお話を書こうかと・・・。

年齢的にもアラフィフで、今年勤続30年になるのですが、そもそも今の会社(金融系)には営業職で採用されました。

子供のころは「航空会社のパイロットにになって世界の空を飛びたい」という夢を持っていましたが、小学校高学年ぐらいで視力が悪くなり、断念。

それでも「モノづくり」にかかわれる仕事がしたいなと思っていましたが、
高校生ぐらいから数学(とくに「微分積分」)と、理科(とくに「物理」)がわからなくなってしまい、理系は無理と判断。

大学も文系学部(いちおう経済学部)で、経済学部だと数字も扱うけど大丈夫かと思いながら、何とか卒業。

就職はちょうどバブル崩壊後の氷河期に入るころだったこともあり、一年前の先輩とは雲泥の差の就活で、何とか最後の最後で今の会社に入ることができました。

就職後に会社の支社の営業部門に配属されたのですが、金融系の会社の表面しか見たことがなく、内部の仕事やお客さまのところに営業に行ったりするという仕事のイメージがなかったこともあり、このままずっとこの仕事を続けるのかなと思ったりしました。

転職等も考えたものの、当時はまだまだ就社時代で、転職するのも一般的ではなく、親にも「3年は我慢してやりなさい。」といわれて大反対されました。

それでもやっぱり「モノづくりにかかわれる仕事がしたいな」と思っていたところ、人事面接で当社にも「システム開発」という仕事があると言われ、ぜひやってみたいと手を挙げたところ、次の人事異動でなんと「システム開発部」へ異動することができました。

思い起こせばもともと、
小学校5年生あたりから、テレビCMで「NECのパピコン」なんていうのが流れ始めていて、それがきっかけでパソコン(当時はマイコンっていわれてましたが)に興味を持ち、「Oh!PC」のような雑誌を毎月お小遣い貯めて買って、夢のマイコンにあこがれた少年時代を過ごし、
中学校に入ってからPC-8001mk2でBASICのプログラムを打ち込んで遊び、
大学生になってから98NOTEにメモリ増設して、DOSのCONFIGをいじってWindows3.0を走らせたり、一太郎で卒論を書いたり、
人生の前半なんやかやとコンピュータに触れていたので、縁はあったのかもしれません。

そんな自分がシステム開発部で初めてメインフレームのプログラム(PL/1)を作って、自分の作ったプログラムがメインフレームマシンの上で動いたときは、「すげー」と超感動しましたね。
同時にこのプログラムがオンラインで全国の支店の業務を支えるんだと思うと、鳥肌が立ちました。

以来約30年間、今の会社でシステムエンジニアを続けています。
今はプログラミングよりもプロジェクトマネジメントが主ですが、「モノづくり」をしているんだという気概をもって、何とかやってます。

未だに「微分積分」とか「物理」とかは苦手で、子供たちに勉強を教えてと言われても、これらの分野は教えるのに頭を抱えてしまいます。

数学や物理ができなくても、文系でも、システムに関心を持ち、それからおそらくこれが一番大事なんですけど、システムを使う部署の業務をよく知ること、これがシステムエンジニアには大事なのかなと思います。

ゆえに文系の方が案外システムエンジニアには向いているのかもしれませんね。(あくまで個人的意見ですが・・・)

今回の投稿は以上です。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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