見せたい自分を見せていい
人は誰しも、人には見せたくない醜い部分を持っている。きっと。
それを見せないように取り繕って、綺麗な自分を演じている大人は、きっとたくさんいる。
綺麗な自分を演じることに
違和感を持っている人へ
見せたい自分、綺麗な自分を演じることは、悪いことじゃない。
もしかしたら、自分と相手を守るための優しさなのかもしれない。
自分が納得できる自分を、見せれば良い。
見せたくないものは隠して、見せたい自分を見せればいい。見せたい自分をつくればいい。
後ろめたさを感じなくても大丈夫。
そう、信じたいね。
私もそのひとりです。
〈内面(心)〉
自分の心、全部は愛せない。
誰かの前だと、人に優しく、思いやりをもって、表向きの精一杯の自分で接しようとするけど、一人になると、その反動で全部がどうでも良くなってしまう。
人に見せるポジティブな自分も、あんまり見せないネガティブな自分も、全部自分。ポジティブに疲れて、その反動で全部手放したくなる私も、私なんだって、分かってはいるけど…
多面的な私の全部を好きになれなくて、うわーってなることがある。
あの時の私は好きだけど、この時の私は好きじゃない、とか。
Aさんに人に見せる私と、Bさんに見せる私は違う、とか。
その違いが、たまに苦しくなる。
そして、好きじゃない私を見せてしまった、って後悔する。
思い返して、恥ずかしくなる。
だから、少しでも、自分の好きな内面を見せようと頑張ってみる。反動で多少疲れても良いから、自分が好きな自分でいようと頑張ってみる。
例えば
誰かを想って動いている自分は好きだから
なるべくあったかい心でいるように心がける。
例えば
好奇心旺盛で真面目な自分は好きだから
素直に好きなことを好きと言って
やると決めたらちゃんと頑張ってみる。
見せたい自分を、見せていく。
人によって見せる内面が違っても、それが全部自分の好きな内面なら、苦しくなることはないのかもしれない。
その優しさが本当か(裏のない純粋な優しさか)なんて、周りの他人はほとんど気にしてないし、
その性格が本当かなんて、周りの他人は分からない。
だから、自分が納得できるものを、見せれば良い。
見せたくないものは隠して、見せたい自分を見せればいい。
〈外面(見た目)〉
自分が写っている写真、あんまり好きじゃない。
今の自分の写真も好きじゃないし、過去に撮られた自分の写真も好きじゃない。あんまり、ね。
言ってみれば、見た目にあんまり自信がない。
今まで見ないように、あえて言語化しないできたけど、やっぱり見た目はあんまり好きじゃない。
見せたくない内面は、意外と簡単に見せないでおくことができるけど、見せたくない外面は、見せないでおくが難しい。外面は、生きている限り、ずっと人の目に晒される。その上で見せたくない外面を、写真として残されると、恥ずかしい気持ちになる。
だから、少しでも、自分の好きな外面を見せようと頑張ってみる。
例えば
笑っている自分は好きだから、なるべく笑顔でいるように心がけてみる。
例えば
少しでも自分を好きになれるように、お気に入りの服を着てみる。
見せたい自分をつくるのもいい。
見せたい自分を見せていい
人はみんな、大人になるほどに、自分を取り繕うのが上手くなっていくんだと思う。
(今の私は少なくともそう思っている。)
だから、大人はキラキラして見えるし、少し嘘をついているように見えるのかもしれない。
前まで、いや、今でも少し、それがなんか嫌だった。
自分を取り繕って、綺麗な部分だけを見せようとすることが、なんか嫌だった。
本当はそんな綺麗じゃないよーって思いながら、綺麗な自分を演じるのが苦しかった。
取り繕った自分は、本当の自分じゃない気がしてしまうし、そんな自分でいると、目の前の人に嘘をついているみたいに感じてしまって、嫌だった。
けど、なんかふと、
取り繕っても良いのかもしれないって思えた。
見せたい自分、綺麗な自分を見せても、大丈夫なのかもしれないって、思えてきた。
今まで...
「本当の自分は違うのに」って虚しくなって、あまり見せたくない本当の自分を見せようと頑張ってみたり、
「素直にならなきゃダメ(純粋ピュアが正義)!」って信じて、自分の嫌なところを無理やり直そうとしてみたり。
一般的に美しいとされている「内面」と「外面」に自分を近づけようと頑張って、少し綺麗に整った自分を見せて、でも本当の自分は全然綺麗じゃなくて、悲しくなる。
その繰り返し、だった。
でも最近...
だったら、もういっそ
綺麗じゃなくても良いから本当の自分を受け入れて、無理のない範囲で直せるところ(直したいところ)を直して、今の自分の精一杯の美しさを見せれば良い。
見せたくない自分を無理に見せる必要はないし、見せても見せなくても自分の本質が変わる訳じゃない。
人間、醜いところは誰にだってある。
見せたくない部分を頑張って見せてまで自分の全てを認めてもらおうとする必要もないし、自分の醜いところを無理やり直そうと自分を削る必要もない。
醜い自分を認めて、時々嫌だなーって思いながら、周りに見せる自分だけ少しだけ綺麗に柔らかく包んでおけばいい。
それが本当の自分じゃなかったとしても、それは優しい嘘。
自分を守るための
相手を守るための
優しい嘘。
そう思えるようになってきた。
そして
この嘘に気づいてくれる人がいたら
その人にだけは...
周りには見せたくない部分も見せたい
と、思うのかもしれない。