人生は何があっても面白い
広告が幅を利かせる年始の新聞の中に
(元旦は凄まじくつまらなかった!)
掲載されていた対談がとても興味深かった
昨年の朝ドラ「虎に翼」脚本家吉田恵里香さんと
元厚生労働事務次官村木厚子さんのお二人が多様性・平等などについてのお話
①性弱説の中で ❝お茶くみ❞についてふれていた
村木さんは入省1年目にしていたそうである
(心の声) 「いいなぁ〜」1年で終わって
そもそもキャリアとノンキャリの格差が
お茶くみにも潜んでいたとは🤔
入社当時のことが甦る
女性陣は当たり前のようにお茶入れをしていた
何十個もある湯呑を覚えて出していく
あれが心遣いなのか仕事だったのか…
まだ、分煙もなされていない時代
吸い殻でいっぱいになっている灰皿と
散乱している書類をかき分け湯呑の置き場を確保した
「なぜこんな事やるんだ」とは思わなかった
そういうものだと思っていた
学生時代バイト経験があるとはいえ、社会人意識皆無
「わからない事があったら聞いてね」と言われても
わかならい事がわからないほど無知であり
疑問など浮かばなかった
「こうするのよ」と先輩に言われれば
それを遂行するのみ
その時は指示されたことが出来るようになることが
役割と思っていたのかもしれない
著書の冒頭で自身を「普通の人」「平凡な自分」と仰っている
充分、凄いでしょーよ!と思うのだが…
ノンキャリの僻みです、ハイ!
比べることさえ憚られる🫣
キャリアを積まれる中、公私共に多忙を極めたはずであるが
もう無理!辞めたい!と、頭をよぎったことはないのだろうか?
どこまでも、清々しくしなやかで地に足ついた強さが感じられた
締めくくりの一説
確かに、先のことはわからないし何が起こるかわからない
意図せず起こってしまうこともあるし、またその逆もあるだろう
面白かったと思えるくらいの心のゆとりを持ちあわせていたいものだ
いま自分に起きていることの是非ではなく
自分がどう思うか、どうありたいか
なのではないだろうか?
物差しの尺度は人それぞれ違う
結局は自身の選択に委ねられている
そこで予期せぬことも
辛いこともあるかもしれないが
心のゆとりを忘れず
面白がれる自分でいたい
振り返って「あれでよかったのだ」と
そう労える自分でありたい
気づかえる人でありたい
周りにも自分にも