大学院生の落書き#5 24分の11を知る友人に言われたこと
一ヶ月くらい就活からは距離を置いてはいるが、嫌でも人生について考えてしまう夏休み。そんなものだから柄にもなく自分のことについても考えてしまう。あまり自分のことは考えていない、何かに反発する時も自分の為ではないというこの感覚はあまり理解されないものだ。でも今は自分について考えているので、まぁ普通の感じ。
もう気づいたら24歳。未だ大学院に留まり社会に出ていないことに焦りも覚えながら、友達と将来のことについて語り合う機会も多い。そんなある夜、中学生からなのでもう11年の付き合いになる友人となんだかんだで朝まで語り合った。そんな中で言われたのが、「今まで見てきた中で一番不器用でネガティブ」ということだった。あまり自覚はしていなかったが、なんだか見透かされたような気がして、嬉しくもあり少し困惑もありという感じだった。
自意識としては自分は器用なものだと思っていた。色んなことにそれなりに適性を発揮し、苦手といえど受験もそれなりに乗り越え、複雑な作業を同時並行で行うこともできたりする。でもそれと同時に、人間関係や感情に折り合いをつけるといったところではかなり不器用な側面を持っていたことが話している内に浮き彫りになった。それが今は前面化して就活から目を背け続けている原因になってしまっていることもなんとなく分かった。困ったことに、それを何とかしようとすることこそ自分が不器用なところでありなんともならんなこれは、という感じがする。不条理を見つけると感情的にスルーすることはできないし、理不尽を飲み込むこともできない。ご都合主義は許せないし、情で回るこの社会に生きづらさも感じる。これから長い時間をかけてなんとか適応していくしかないのだろう。やらないといけないことをそれなりにこなすということが一番難しい。
ネガティブというのは完全に見透かされた。「口ではホラを吹いて、口以外では格上を見続けて、日々ホラの正当化を行いながらズタボロになる自尊心を引きずって努力を積み上げるしかない。それが真の謙虚ってもんでしょ」そう思って自分の考えのネガティブな発端の思想をツイートしたのがこれだった。ホラを聞いている限り自分はむしろ自信があり、傲慢な人間にすら見えるだろう。だがさすがは10年来の友人、そこはしっかりと見破ってズタボロの自尊心を見つけてきたようだ。
周囲に対して自分のことを卑下する人間は保険をかけて努力しなくてもいい自分像を作り上げようとしているだけなのでむしろ傲慢だろう。小さいことしか言わない人間は全てが予定調和であまり抜きん出るものもないだろう。ならば大きなことを言わないといけない。大きなことを言っても尚見捨てられない為にはそれに相応しい人間にならないといけない。その為にひたすら努力するしかない。それが一番謙虚だ。そういう思想で生きている。伊達政宗から引用するならば「へそ曲がり」にならないことには成長はない。そんな事を考えながら格下と自分を比べることはほとんどない。格下のことをどこがどう悪いのかと評価することはあるが、自分と比べたりはしていない。常に格上を見ては負けている自分に絶望し続ける。自分ができる何をとっても、トップからは何周も遅れている。物質的には恵まれてはいるが思想的には恵まれていない分、そちらで恵まれて若くして格上に上り詰めている人に強烈な嫉妬を感じる。物質的には恵まれているのに上り詰めれていない自分に絶望する。では自分は努力を詰めているかと言えば、そうでもない。一つのことに没頭して一気に上に上り詰めている人がいる一方で、自分は興味が分散し何事も努力し切れていない。色んなことに手を出してはその全てで格上に圧倒的に差をつけられている。勝ち筋など見えていない。それでもホラを吹いて、へそを曲げて、なんとか努力しようと努力し続ける。そこに自尊心は要らない。
読み返してみると不器用でネガティブそのまんまだなと思いつつ、そろそろ思考を広げるのを止める。いや、ダラダラと垂れ流しているだけで何も考えてはいないか。たまにはそんな時間もあっていいだろう。
写真はGR3で撮影した渋谷のビル。なんだか面白い形をしていたので、色んな人が同じような写真を撮ってるんだろうなと思いつつ記録的に撮った写真。最近はVガンダムを見進めているが、ウッソくんのお母さんになろうとして死んでいく女性達の話に置いていかれっぱなし。