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【短篇小説】死なない為の葬送

 この文章はフィクションである。登場人物は実在の人物とは関係がない。ただし画家、現代アート作家、歌手と政治家はその限りではない。
 ゼロ年代なんてクソだった。イラク戦争反戦歌なんてどのバンドも歌わなかった。小泉は堂々と靖国を参拝し、ブッシュは十字軍だと言ってイラクを攻撃した。日本はイラクに自衛隊を派兵した。皆はセカチューとmixiに夢中で反戦運動の「は」の字もなかった。純愛映画で冷めた時代の中でただ俺一人が怒っていた。俺が世界を救わなきゃいけない気がしていた。その重圧に負けて鬱になり学校に行けなくなった。世界が滅ぶ気がしていた。生活は乱れた。深夜のニコ生の画面で二人の女の子がダベっていた。「脱げ」というコメントで画面が埋まる。その夜もファルージャは焼かれたのだ。俺はぼんやりニコ生を見ていた。つまらなさそうな顔をしている女の子に「頭良さそう」とコメントしたら、その子は変顔して笑った。自分も、世界も、全部馬鹿みたいだった。その子の変顔だけがリアルだった。
 そして俺は発狂して精神科閉鎖病棟に入院した。広い窓から森の見える鳥籠の中で10代後半を棒に振った。Kと知り合ったのは入院中のことだ。第一印象でバンドマンみたいな奴だなと思った。そして奴は実際バンドマンだった。俺は書き殴った下手くそな短歌をKに見せた。Kは時々、作業療法室でギターを弾きながら歌ってくれた。Kはひどく音痴だったが気迫と魂で絶対上手くなるのだと思わせる。病棟にはCDコンポがあって音楽が聴けた。俺達は一緒にamazarashiを聴いた。Kは頭のおかしさをいつでも感じさせなかった。奴の目に俺がどう映っていたかは知らない。俺達はやがて真っ白な閉鎖病棟から退院した。
 Kはライブハウスでバイトを始めた。俺は実家で家族と喧嘩しながら就活に失敗し続けていた。メンヘラヒキニートというネットミームがあるが、白血病で病院に引きこもりニートとか、心臓癌ニートとか言うのかよ。世の中は頭がおかしい。
 俺は互いの退院祝いに一緒に出かけようとKを誘った。めでたく「障害者手帳」を獲得した俺は、自分と付き添い一名まで美術館が只になるという特権をも獲得した。そこで俺達は国立国際美術館のルノワール展に行った。その美術館は金属のパイプの羽が弧を描いて地下へと導く、特殊な建築をしている。
 ルノワールは柔らかく幸福な光に包まれた天使のような母と子供達を描いていた。虹のように淡い色彩はカノンのようだった。それは何も思い出させない夢の光だった。
 偶然、荒川修作の「死なないための葬送」が同時に開催されていた。俺はその現代アート作家を知らなかった。綿に包まれた石の塊が棺桶に納められていた。Kが「死んだ繭みたいだな」と呟いた。俺は俺達みたいだと思ったが何も言わなかった。それらはこの美術館の胎内に相応しい形をしていた。
 どこへ行っても不幸の印を見る俺達はKの部屋で酒を飲む事になった。東大阪の駅前の有料駐輪所から、線路沿いのフェンスと建ち並ぶ倉庫の横道を歩いた。「お前、就活どうなんだよ」「ゴミや」子供の頃関東から越して来たKは標準語を崩さない。「短歌は」「もう書いてへん」Kは黙って、歩みを止めた。俺も立ち止まった。いきなりKは自転車をガシャンと捨てて、俺の首を全力で絞めた。フェンスに押し付けられて電車が通り過ぎ、物凄い音がして風が吹いた。Kはますます強い力で俺の首を絞めた。俺は苦しみながらニッコリと微笑んだ。Kの目は慄いて腕の力が抜け、奴はヘタヘタとその場にへたり込んだ。俺はしばらくゼエゼエ言ってから「ありがとう。すまんな」と呟いた。長い時間が経ってからKが呻いた。「てめえふざけんなよ」「お前が優し過ぎんねん」俺達は黙った。何本も電車が通り過ぎた気がする。夕日が射していた。俺達はいつまでも動けなかった。自転車に空き缶を積んだホームレスが通りすがりにちらりとこちらを見て通り過ぎた。

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