「死にたい」の理由

精神的に追い込まれた人はよく死にたいと思ってしまうことがあると思います。しかし、人間には動物としての生存本能があるため、死ぬことに対して恐怖を抱く思考回路が構築されています。それなのに「死にたい」と感じるのはなぜなのでしょうか。この疑問に対して、私なりの解釈をプロセスを追って紹介させていただきます。また、私の解釈が誰かのマインドフルネスなどのメンタルヘルス活動の役に立てばと思います。

死にたい、に行き着くまでのプロセス

①身体的苦痛・身体的苦痛を与える出来事の発生

虐待、DV、パワハラ、セクハラ、いじめ、介護、持病、事件事故、災害様々な要因がこの社会には存在します。これらの経験を経ることで、人間の精神は弱っていき、攻撃的になる場合もあれば、抑うつ傾向を持つようになったら、あるいはその両方を持つ、さらには無感情になってしまうなんてこともあります。

②精神疾患の発症

前述のような体験をされた方は、精神病を気付かぬうちに患っている場合も多いようです。精神が病むと、うつ、躁うつ、パーソナリティ障害(解離性、境界性、妄想性等様々なタイプがあります)、不安障害、適応障害、パニック障害などを患ってしまいます。虐待、レイプ、被災などの場合ですと、PTSDにもなります。

③精神疾患による健康への影響

精神病にかかると健全な社会生活が困難になり、生活習慣が乱れたり、そもそものストレスによる営業のために、不眠症や過敏性腸症候群、自律神経失調症、ストレス咳などになることもしばしばあります。

④心身の健康状態の劣悪化

心身ともに辛い状態に陥ることで、人間の体は逃げ場がなくなります。精神状態の改善をはかるための図るために気分転換をすることも身体の健康の悪化により困難となり、その逆も然りという状況に陥る、あるいは片方だけが極めて劣悪な状態に陥ることで過度な生き辛さを感じとります。生きるのが辛い時に選べる選択肢には何があるでしょうか?それこそが「死」なのです。


プロセスを踏まえての考察


他のことなどどうでもよく考えられなくなるほどくらいの重荷を抱えている時、その人にとってその時の人生は生き地獄です。
誰も皆死にたいと思っているわけではないのではないでしょうか?本当は、生きるのがこの上なく辛く、そこから救ってくれる選択肢が死しかない。だから生き辛さを抱える人々は、死にたいと思うようになってしまうのだと私は考えます。
その結果、自殺を図って成功する人もいれば、未遂に終わったり怖くなって実行できなかったりした人もいる。前者には人生の時間がそこで止まってしまうこと、後者にはこれからも今までの生きたくない日々が続くことの残酷さが潜んでいます。
どんな結果にしろ、死に関わることで生まれる副産物に悪いものは付き物です。

自殺を止めるのではなく、それよりも早い段階で、生き辛さを抱える人々が生き辛いと思わずにいられるようにすることが、本当のニーズなのではないか、私はそう思いました。その手助けを社会人として行なっていきたいです。


今回の記事はこれで終了です。
読んでくださりありがとうございました!

今回は少し重めの内容でしたので、次回は私の趣味をトピックとした明るい内容の記事を投稿する予定です。

それではまたお会いしましょう、



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