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顧客は無意識に「選別」を行なっていた!!
小阪裕司著『「顧客消滅時代」マーケティング』の第1章・全文公開、今回は、コロナショックによって消えてしまった顧客は、遅かれ早かれ、去っていく運命にあったという、いささかショッキングな内容です。が、これからのビジネスのヒントが満載です。【普及局コバヤシ】
現代社会の歴史上、人の流れが初めて止まった
1990年代のバブル崩壊、2008年のリーマンショック、2011年の東日本大震災など、我々は数々の「危機」に直面してきた。しかし、2020年の「コロナショック」の影響は、それらを大きく上回っているように思う。
中でも特異であったのは「人の動きが止まってしまった」ことだろう。
だからこそ、明確になったことがある。それは、「人の動きこそが経済を作っていた」という事実だ。
一時的な停滞や逆行はあったにせよ、人類が移動できる範囲はこれまで、時代を追うごとに広がっていった。
かつては、自分の生まれた町や村の周辺だけで一生を終えていた人が大半だったはずだ。それが、馬、船、鉄道、自動車、航空機と交通手段が発達することで、徐々に移動できる範囲が広がっていった。加えて、関所など移動を妨げていた障害も徐々になくなり、今では海外の多くの国にビザなしで行ける。ヨーロッパの国同士に至っては、国境を越えるのにパスポートすら不要だ。
特にこの20~30年は流れが加速していた。私の学生時代には超特別なイベントだった海外旅行はもはや当たり前のものになり、一方で、海外から観光客がどんどん押し寄せてくる。世の中はどんどんボーダーレスになり、その流れは決して逆行することはないと誰もが信じていた。
こうした自由な人の動きが、経済を活性化させていた。
人が自由に移動し、集まることができるからこそ、商圏は拡大していった。
おいしいと評判のレストランには全国から人が集まり、国内のドラッグストアには外国人観光客があふれ、各種イベント産業は活況を呈していた。メーカーはそんな購買欲旺盛な人に向け、数々の商品を作っていた。
その流れが、COVID-19によって一気に止まってしまったのだ。
特に苦労したのはサービス業
真っ先に影響を受けたのは、鉄道やバス、航空業界など「移動」に関するビジネスだ。空港から人が消え、海外からの観光客向けにツアーバスを出していた業者が経営に行き詰まり、常に満席に近かった新幹線がガラガラになった。
次にダメージを受けたのが、リアルな顧客を相手にする小売・サービス業だ。自由な外出が制限されてしまったのだから、当然と言えば当然だ。通販を手がけていたところはまだマシだが、配達のしようのないサービス業、たとえば美容サロンやマッサージ店などはどうすればいいのか、という状態になった。
AIによって多くの仕事が消滅すると予測される中、美容サロンやマッサージなど、人が人に直接接するヒューマンスキルが必要とされる業種はITやAIが代替しにくく、比較的強いと言われていた。しかし、「人と人が直接接することはNG」とされてしまうことになれば、その強みはむしろリスクになってしまう。
さらに、コロナショックは従来の勝ち組と負け組を一転させてしまった。以前は、駅前やエキナカ、SC、繁華街の中心地といった「人通りの多い場所」こそが商売の好適地であり、その分、地価や家賃が高かった。コロナショックにより、こうした場所は「密」として避けられ、真っ先に閉鎖されることになった。しかも、家賃はそのままだ。
それでも「外出自粛要請」だった日本はまだマシで、ロンドンやパリなどの欧州の大都市は軒並み完全なる「ロックダウン」が行われたのだから、影響はさらに大きかっただろう。
人が戻らなかったのは「無意識の選別」
日本における最初のつらい時期は、2020年4月上旬から5月半ばくらいまで、緊急事態宣言発出から解除までの約1カ月半ほどだっただろう。ではその後、以前と同じように顧客は戻ってきたのだろうか。
もちろん、すぐに元に戻ったところもあるだろう。しかし、多くの店や企業はそうはならなかった。顧客は戻ってこなかったのだ。
ここで何が起こったのか。
もちろん、緊急事態宣言が解除されてすぐの段階では、人々も外に出るのをためらっていたという理由はあるだろう。会合や飲食も、以前のように自由にできる状態ではなくなってしまった。
だが、そんな表面的な問題の裏で、もっと根本的な問題が発生していたというのが、私の見立てだ。
実はコロナ禍の中、顧客は「選別」を行っていた。今までなんとなく惰性で行っていた店に行けなくなった結果、「別にあの店に行く必要はない」という選択を行った。あるいは「この商品は別になくても困らない」と考え、買うのをやめるという選択を行なったのだ。その結果が、「いつまでたっても顧客が戻ってこない」の正体ではないだろうか。
私は以前から、今は「選別消費」が進んでいる時代であると主張してきた。選別消費とは、「自分がコスト(お金、時間、労力など)をかけるべきもの、使うべき先をシビアに選択・選別する消費」のこと。元々、増税や災害などの際にはこの選別消費の意識が高くなるのだが、今回はまさに、コロナによってこの選別消費の意識が大いに高まった。
あなたも思い返してみてほしい。自粛前にはよく行っていたのに、自粛期間が明けてもなんとなく足が遠のき、そのまま行くのをやめてしまった店はないだろうか。
その選別は意識的に行われたものとは限らない。むしろ大半は、無意識のうちに頭の中から消えてしまったのだろう。人間は忘れる生き物だ。意識的か無意識的かにかかわらず、あなたがその店に行く必要がないと選択してしまえば、頭の中から忘れ去られてしまう。その商品を買う必要がないと選択してしまえば、それを使っていたことすら忘れてしまう。
一度使ってみたら「ZOZOTOWN」の虜に!?
私の場合、たとえばその一つは「服」だった。緊急事態宣言を受け、オンラインミーティングやウェブでのセミナーが増えたのだが、それに合う服をあまり持っていない。とはいえ外出もできない。そこで仕方なく「ZOZOTOWN」を利用した。
「仕方なく」とはZOZOTOWNに失礼だが、服を買うことは楽しみでもある私にとって、正直これまで「服を通販で買うなんてありえない」と思い込んでいた。しかしこれが、一度使ってみるととても便利。選択肢も多いし、試着して合わなかったら返品もできる。そして、一度サイズが合ったものに関しては、それを参照しながら選ぶことができる。やってみると「なぜ、今までやらなかったのだろう」というくらいだ。これによって、私の頭の中にあったいくつかのアパレル店が消滅した。
おそらくは同じようなことが、日本全国で起きている。最も顕著なのが生活必需品だろう。アマゾンや楽天で頼めば翌日には、ひょっとすると当日に配達される。重い荷物を持って帰る必要もない。
そして、購買行動を繰り返すうちにアマゾンや楽天はあなたの好みを把握していき、次々とお勧めの商品をレコメンドしてくる。それは少々気味の悪いことではあるが、やはり便利であることは確かだ。
では、「失われた顧客」のすべてがECサイトやITビジネスに取られてしまったのだろうか?
「昨日の夜からワクワクが止まらないの!」
そこで、こういう例をご紹介しよう。新潟の農村部、田んぼと山に挟まれた地域にある、45坪ほどの小さなスーパー「エスマート」での出来事だ。
2020年4月に発出された緊急事態宣言は、5月に入ると各地で段階的に解除されていった。しかし、先述の通り、人出が一気に元に戻ったとは言い難い状況だった。
そんな中、同店には、緊急事態宣言解除の直後、顧客がわっと押し寄せた。別に便利な場所にあるわけではない。それどころか、周囲はまったくの田園地帯で、人家もほとんどないような場所だ。
にもかかわらず、開店直後から顧客が大勢やってきた。
ある70代半ばのお客さんは、店内に入るなり店主のところへ駆け寄り、興奮気味にこう言った。
「店長! 私、昨日の夜からワクワクが止まらないの~! 明日、エスマートに行こう! と昨日の夜主人と約束した瞬間からず~っとだよ。今朝起きてもワクワクしてるの! ねぇ、店長、何? この店何? このワクワクは何? 止まらないんだけど(笑)」
緊急事態宣言下で我慢の日々が続いていた反動もあるとは思いつつ、この言葉は嬉しかったと店主・鈴木紀夫氏は言う。
ちなみに同店、顧客からは次のような言葉をよくいただくそうだ。
「何か温泉旅館に来たときのような気分になる」
「ディズニーランドより楽しいかも」
「おばあちゃんから、あの楽しいところにまた連れて行ってとせがまれるんです」
「子供があの店にまた行こう、また行こうとうるさくて」
「私、週末にここに来る楽しみがあるから一週間つらい仕事を頑張れるんです」
「将来こういう店を持つのが私の夢なんです」
確かに同店は、こう言われるだけのことはやっている。店主の意志ある品揃え、店内あちこちの読むだけで楽しいPOP(店頭販促物)、来店客との親しげな会話、等々。「日々やることは『たのしい』かどうかを軸にした改善」と、鈴木氏も言う。
しかし繰り返しになるが、同店は田園地帯の小さなスーパーだ。これがスーパーにかけられる言葉だろうか?
ちなみに昨年スーパー業界は、コロナによる巣ごもりニーズや、3月、4月にはパニック買いもあり、好業績な時期もあった。しかしそれも7月くらいまででストップし、むしろ前年比マイナスになっていった店も少なからずあった。
そんな中、エスマートの売上は2020年1月から今日に至るまで、ずっと前年対比を上回っている。それどころか、創業以来60年間での過去最高を更新し続けている。
そしてこの店は、どんなにECサイトが便利になっても、顧客を失うことはない。
人々が買わなくなったのは「中途半端なもの」
私は2012年に『「心の時代」にモノを売る方法』(角川書店)という本を書いた。そこに書いたのは、世の中は心の時代に向かっており、モノではなく「心の豊かさ」を消費したがるということだ。モノを買うのはモノそのものが欲しいのではなく、そのモノを手に入れることで「心が豊かになる」から。近藤麻理恵さん流に言えば「ときめくもの」だ。また、店などに行くのも「心が豊かになる」から。そして、そうしたことに対しては、人はお金に糸目をつけない。
「心の豊かさ」の消費とは、人がより良く生きるためのエネルギーチャージだ。
たとえば「ハーレーダビッドソン」という大型バイク。コロナ禍で「不要不急」という言葉がやたら使われているが、ハーレーもまさに不要不急のものだろう。これがなければ生活に困るわけではなく、移動するだけならスクーターでもいい。では、ハーレーライダーたちはなぜハーレーに乗るのか。私の友人にも数名いるので聞くと、「元気になるから」。
私にとっては、絵画や陶磁器などの美術・工芸品がそうだ。まさに「ときめくもの」を買い、部屋に飾っておくと、それを見るたび「元気になる」。エネルギーをもらえるのだ。
人によってはそれがフィギュアだったり、ディズニーランドに行くことだったり、いろいろだろう。そうしたものはたいがい「不要不急」だが、「生きるエネルギーをもらえる」意味では、人にとってなくてはならないものだ。
一方で、「どうしても買わなくてはならないもの」がある。いわゆる生活必需品で、洗剤やトイレットペーパーなどの日用品がそうだ。これについては、機能さえ果たしてくれればどの商品を買うかにあまりこだわる人はいない。そのため、いわば「コスパがいい」商品が選ばれる。
コロナ禍でもいわゆる「心が豊かになる商品」の売上はほとんど落ちなかった。あるいは、落ちてもすぐに回復した。一方、生活必需品はちょっとしたコロナ需要さえ起きた(もっともその多くは需要の前倒しに過ぎなかったが)。
問題は、そのどちらにも属さないものだ。つまり、「心が豊かになるわけではないが、生活必需品でもないもの」。今回、売上が戻らなかったものの多くは、このカテゴリーに属するものであった可能性が高い。
利用される店に関しても同じことが言える。先ほど紹介したエスマートは、コスパで選ばれている店ではない。「ディズニーランドより楽しい」からこそ選ばれている。だからこそ今日一層、顧客が殺到して来るのである。
会社や店から顧客が消え、それが戻ってきていないのであれば、その原因は、その会社や店が提供しているものが「心が豊かになる」わけでもなく「コスパがいい」わけでもない、中途半端なものになってしまっている恐れがある。
今起こっていることは「未来の前倒し」に過ぎない
ここまで述べてきた「顧客消滅」の危機。だが、これは果たしてコロナショックによって、突然、もたらされたことなのだろうか。
リアルからネットへという移行は、もうずっと前から進んでいたことだ。アマゾンも楽天もZOZOTOWNも、もうずいぶん前からサービスを開始している。ネットフリックスなどの新しいサービスもコロナ前からある。
「中途半端なものが売れなくなる」という現象もまた、コロナ前から顕著だった。コロナによって、それが明確になったに過ぎない。
そもそもの話をしてしまえば、日本はすでに人口減少社会に入っており、街中から人が減るということは、もう何年も前からわかっていたことだ。人口動態とはほぼ唯一、確実に予測できる未来だ。現在の年代別人口構成と出生率がわかれば、ほぼその通りに進むからである。
そして人口動態以上に、「選別」はもっとドラスティックに進んでいる。選ばれなくなった店や商品にとっては、「顧客消滅」はすでに現実のものとなっている。
つまり、今起きていることは「未来の前倒し」に過ぎない。本来、来るべき未来がコロナショックによって一気に到来した。それだけのことなのだ。
そして、コロナショックによって消えてしまった顧客は、遅かれ早かれ、去っていく運命にあったのである。