阪神大震災から学ぶ防災の備え
1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が発生しました。
当時は「銀行はつぶれない」という迷信が信じられていた時代です。それと同時に「関西では地震は発生しない」と言われていた時代でもありました。
地震に対する備えはほとんどなく、災害に対する意識もなく阪神大震災を経験することになったのです。備えがないので、阪神間では大変不便を強いられました。
そこで今回は、私の体験と、災害の時にあったら便利だと感じた防災の備えについてお伝えします。いつ災害が起こっても困らないようにと思いこの記事を書きましたので、是非参考にしてください。
阪神大震災での災害時の体験
まだ眠っていた時のことです。体の上に布団がかかっているのに、自分の体の下には何もない!体が宙に浮いた感覚に襲われて、フッと目が覚めました。自分の置かれている状況が分らず、頭が真っ白になりました。自分の体が敷布団の上に着地した後に、縦揺れを経験し「地震なんだ」と認識し、掛け布団を頭まで覆い全身を守りました。
揺れが収まった後、家族の安否も知りたいと思いつつ、自分の安全の確保のため暗闇に目をならすことから始まりました。自分の部屋の入口が空いていることを確認し、逃げ道があることに胸をなでおろして行動することに。
立とうとして体を動かしましたが、痛みも感じないのに立てませんでした。手探りで自分の周りを状況確認すると、私の足の上に重いはずの本棚がのっていたのです。動ける父と弟を中心に、家具を動かして、助けられてから、避難に動くことになりました。
①避難への道
家族全員が動けるようになって、玄関の割れたガラスで使い物にならなくなった靴を捨て、安全な靴を確保することに。外に出ると、災害により家が危ないことを察知した地域住民であふれていました。「あそこの家の下敷きになっている人がいる」と誰かが言えば、「うちにノコギリがあったはず、持ってくる」とごく自然に出てきました。
赤ちゃんを抱っこしているお母さんが「哺乳瓶を持ってくるのを忘れた」と言えば「赤ちゃんを預かっとくから、早く取っておいで」とすぐに言葉が出てくるほどです。「〇〇さん、大丈夫ですか?」と声をかけて、ドアを開けて安否を確認するほどでした。道路も状況が悪く、看護師で夜勤明けで帰ってきた友達のお姉さんが一人で帰って来ようとしたら、見知らぬ人が足元を確保してくれて送ってきたりしたこともありました。
日頃の近所づきあいをしていなくても、災害時だからこそ、いつもより優しくて温かい声掛けが出来る状況が起こりました。
②食事について
我が家では、早朝に震災が起きました。復旧が早かった電力会社が、電線の壊れているのを直さずに通した電気がショートして、火事が起きてしまいました。地震が起きてから火事になるまでに時間があったため、少しはものを運び出す時間がありました。台所にあったラップ、お弁当に入れるために炊いていたご飯を、避難所に持ち込んだのです。
夕方近くに持ち出したご飯を、ラップに敷いた食器に乗せて食べることになりました。近所の人と分け合いながら食べていたことがあります。持ち出せなかった人は、支給されるご飯を待つほかはありませんでした。
避難所で被災者に配られたご飯は、日付が変わる少し前に、3人に1つのサンドイッチ、3人に1つのバナナ、もしくはおにぎりでした。1人に1つのお弁当が支給されたのは、被災してから3日後の事です。それは冷たいコンビニ弁当でした。最初は1人前のご飯を食べられたことはありがたいことですが、栄養は偏り塩分も高めで、味にも飽きてしまいます。健康的とは言えませんでした。
③トイレと入浴について
逃げ込んだ中学校では、すべての教室中に避難民があふれかえっていました。電気施設には緊急用の電力が備えられていましたが、防災と安全確保のため電気は消されることはありませんでした。ライフラインの水道もストップしているため、トイレは流せません。たくさんの人が使うため、流れないトイレは半日でいっぱいになりました。
臨時に、運動場に横一列の長い土を堀り、足を置く場所に板を敷きました。ビニールシートで1人は入れるぐらいの大きさのスペースを作りました。臨時トイレの出来上がりです。トイレ時に使うティッシュは、持っている人が見知らぬ人に「ティッシュは持ってますか?」「使いませんか?」と譲り合いながら、トイレを済ませていました。時間が来ると定期的に排せつ物を流す。そんな非日常を過ごしていました。
入浴は親せきなどの家に行けた人や、水道のライフラインが早かった地域では1週間後には入れたという声もありました。私も被災後6日後に入ったお風呂が、とてもうれしかったです。ただ避難所だけに頼ったケースだと1ヵ月も入浴できなかったケースもあります。
④アメニティについて
家屋の倒壊が多い地域に住んでおり、我が家の周囲では全焼した家も多く、荷物を持ち出す時間がほとんどない状況でした。いつも飲んでいる薬を持ち出せなかった人も多く、また生理用品(ナプキン)を持ち出せない人も多くおられました。いつもつけてるメガネがなく、不便を強いられている友人もいました。
避難所である学校の放送で、「ナプキンがなくて困っている方、取りに来てください」「いつも飲んでいる薬で困ってる方は取りに来てください」など、アナウンスが流れることもありました。ただ、そのアナウンスも最低限です。いつも使っているアメニティも薬も、自分で持ち出しできるようにしておくべきでしょう。
⑤情報収集
1995年は、まだ携帯電話は主流ではなく、情報源はラジオかテレビだけでした。しかし停電でテレビが見られない家庭も多くありました。情報収集のためのラジオも、避難先で大きい音も出せず、周りに気を使いながら聞いていました。
私の様子が気になった友達が、テレビの安否を知るために伝言コーナーに「マッキー 元気ですか。連絡ください。〇〇〇-〇〇〇〇」とメッセージを出してくれたのに、本人の私が気が付かず、知人から聞かされることもありました。
テレビでの伝言は固定電話に載せられ、電話するのに公衆電話を使うことも多々ありました。当時の固定電話でも電話が混線し、なかなか電話で話すことが出来ませんでした。
また小説からドラマにもなった「神戸新聞の7日間」にも書かれたとおり、神戸新聞の記者でさえ現状を知らず、情報収集に苦労しました。避難所ごとに自主的にコミュニティができ、情報収集も避難所ごとで共有しあい、協力して分かち合うということが主流になっていました。災害という非日常の時だからこそ、地域のつながりが大事であることを確認させられたのです。
置いておくと便利な防災グッズ
いざというときに避難するために、日頃から非常袋を入り口や寝室の頭の位置に置いていると良いでしょう。男性では15㎏、女性だと10㎏までを目安にすると、持ち運びやすくなります。非常袋を用意するのは、大災害時にスーパーやコンビニが開店していないことがあるからです。
①情報収集に必要な防災グッズ
今となっても災害時は携帯電話での使用が難しく、公衆電話が使われることがあるため、公衆電話のある場所と小銭を用意しておくのは大事でしょう。
またSNSやEメールでのやりとりでの確保も大事です。携帯電話は大事な情報源にもなりえます。モバイルバッテリーの確保をしておくといいでしょう。
スマートフォン
モバイルバッテリー(安否確認や情報収集のため)
乾電池
懐中電灯
携帯ラジオ
筆記用具(マジック・メモ帳とボールペンなど)
非常持ち出し品袋
②避難に必要な防災グッズ
避難所に行く途中に倒壊した建物があり、倒壊した建物に生き埋めになっている可能性があります。そのため必要なものをそろえておくことも大事です。
ホイッスル(助けを呼びたいときに、大きい声が出なくても、ホイッスルは音が通るため)
スコップ
ノコギリ
救急セット
運動靴(スリッパ)
布粘着テープ(メモとして利用もしくは傷口の止血などに利用)
ヘルメットや防災頭巾
長靴
工具セット
ほうきやちりとり(ガラスや倒壊物の除去に)
ライター(マッチ)
ろうそく(ランタン)
③食事の時に必要な防災グッズ
水が使えない状態である災害時には、ラップがないのは大変なことです。公的支援である食料も、いつ貰えるか分かりませんので、持ち出せた食料も大事な資源です。
飲料水(1人あたり3リットル×3日分が目安)
食料(人数×3日分が目安)例としてはカップラーメン。缶詰、レトルト食品、乾パン、飴やチョコレートなど
野菜ジュース(野菜が摂取できないと体調を崩しやすいため)
給水用ポリタンク
カセットコンロとカセットボンベ
使い捨て食器(紙皿や紙コップ、割りばしなど)
ラップフィルム(食器の上に弾いて、水道が止まって食器が洗えない時の対応)
缶切り
万能ナイフ(包丁代わり)
④トイレと入浴のための防災グッズ
避難所に持っていく必要はないかもしれませんが、在宅非難をすることもありえます。在宅避難ではライフラインが使えないこともあり、水が使えないこともあるので、簡易トイレの設置は必要です。
簡易トイレ
水道のライフラインが復旧している知り合いに入れてもらう
自衛隊のお風呂サービスを使う
⑤防災グッズにもなる日常のアメニティ
いつも使っているアメニティがあると、ストレスが少ない被災生活が送れます。特に持病がある人、乳幼児がいる家庭、高齢者がいる家庭では、余分にアメニティが必要です。荷物が重くなると思ってしまうかもしれませんが、不便を強いられる被災生活で、出来るだけ日常に近い状態をキープすることも大事です。
ブランケットなどの防寒具(体力を無駄に消耗しないため)
ハンカチ
マスク
消毒液
ティッシュペーパー(ウエットティッシュ)
歯ブラシ(マウスウオッシュ)
携帯用カイロ
下着や靴下(着替えの衣類)
雨具(ポンチョや折り畳み傘)
生理用品(ナプキン)
常備薬
軍手(人数分)
救急セット
現金(停電でレジが使えなかったり、公衆電話を利用できるように小銭も大事)
乳児がいる場合
おむつ
哺乳瓶
粉ミルク
着替え
高齢者がいる場合
介護用おむつ
入歯
持病がある人は薬
まとめ
近代的な都心部で起きた地震である「阪神大震災」。その後にも日本では様々な災害が多数起こりました。ボランティア元年と言われた神戸では、全国の被災地に神戸から救助の手が差し伸べられることとなりました。
現在では、防災や減災のための準備が取り上げられ、防災意識を高めるための報道や注意喚起が行われています。災害国日本では、公的なサポートだけではなく、自助による準備も自分の命を救うために必要だからです。玄関や寝室の手の届く所に、非常袋に必要なものを入れて用意しておくと良いでしょう。
あれから28年の時間が過ぎました。当時は情報が取れず困ったこともありました。しかし今はスマートフォンが普及しており、情報が溢れている時代です。デマが拡散される場合もありますので、正しい情報を確認してください。
災害国日本において地震や台風は避けられないものです。自分と家族、大事な人を守るためにも防災グッズをそろえてください。日中に違う場所で被災しても無事に落ちあえるように、防災意識をもって減災に努め、自分を守る行動につなげましょう。