「まだ見ぬ写真」を撮ることの可能性
これだけすごい数の写真がネットにアップされる現代に、「まだ見ぬ写真」を撮ることは可能なのでしょうか?
結論から言うと、「可能」だと思います。
そして、そのためのキーワードは、「体験」なのではないかと個人的に思っています。
写真はずっと、「個人の体験」を視覚的に見せるのに適した媒体でした。家族で行った海で記念写真を撮ったり、旅先で親切にしてくれた人と一緒に写ったり。
でも、デジタルカメラが普及してからしばらくの間、みんなが「いい写真」を撮ろうと必死になりました。カメラ雑誌でもなんでも「いい写真」「いい風景」「いい瞬間」を撮ることを目標にする流れがあったように感じます。それらは技術的にある程度教えることができますからね。
ところが、「いい写真」には、撮り手の「視点」は写っていても、「体験」が写っていないことがある。写っていなくても成立するんです。
私はここで、「カメラ=個人の体験を写すのに適した道具」ということを再認識しようと思っています。「いい絵」を描くための道具では必ずしもなくて。
たぶん、撮り尽くされているのは「いい写真」のほう。フォトジェニックな写真、黄金律の構図で撮るのは、もうみんなやっている。
まだ見ていないのは、あなたの私の、彼の彼女の、すごくパーソナルで、誰もしたことのない体験、その記録なんだと思うのです。
フィクション、ノンフィクションにかかわらず、その体験がユニークであればあるほど、我々はハッとするんじゃないでしょうか。
安達ロベルト
☞2/3イベント「まだ見ぬ写真へ」
https://note.mu/photounseen/n/n8d68f1877a30