「家庭で培養肉を」~大阪大学招へい研究員/TOPPANホールディングス総合研究所、加藤あすかさん
大阪大学のフォトニクス生命工学研究開発拠点(フォトニクス拠点)が取り組む研究の一つに、「培養肉」があります。和牛のような味、食感、栄養素を再現し、安定生産や品質管理の技術を開発することが目標です。研究が実った未来では、好みに合わせて家庭で肉を作ることも夢ではありません。研究はどこまで進んだのでしょうか。フォトニクス拠点に参加している研究員の加藤あすかさんに聞きました。(聞き手、サイエンスライター・根本毅)
──加藤さんは、大阪大学とTOPPANホールディングス(凸版印刷が今年10月に社名変更)などが今年開設した「培養肉社会実装共同研究講座」の招へい研究員として、培養肉の研究に携わっています。まず、培養肉とはどのようなものなのか教えてください。
牛などの動物の細胞を人工的に増やして作った食肉のことです。牛一頭を育てるには広大な草地を必要としますし、大量の温室効果ガスも出ます。このような環境への負荷を減らす目的や、食糧問題の解決のために、世界中で培養肉が研究されています。
培養肉の他に、植物性の代替肉や昆虫食なども注目されています。私は、培養肉が「環境負荷を減らすような食生活をしたい」という人の選択肢の一つになったらいいなと思います。
──培養肉の実用化に向けて、どのような研究をしているのですか?
一般的に、世界で最も認可に近い培養肉はミンチ肉なんです。ミンチ肉は、筋肉細胞をとにかく増やして集めただけで、筋肉繊維や脂肪細胞などでできた肉の構造を持っていません。でも、肉としての食感や香りに価値を見いだす消費者はやはり多いと思います。そのため私たちは、ミンチ肉ではなく本当の肉の構造を再現しようとしています。これが、一番大きなポイントです。
肉の構造を作るのは簡単ではありません。細胞は普通に培養するだけでは、平たく広がってしまいます。私たちは、3Dバイオプリンターという技術を使い、細胞を積み重ねて培養する技術の実用化に取り組んでいます。3Dバイオプリンターで筋組織と脂肪組織を別々に作ったら、それらを組み立てて肉の構造を再現します。最終的に培養肉を市場に出す際の品質管理などで、フォトニクス(光工学)の技術が必要になってくると思います。
私が担当しているのは、細胞を3次元化するために使うバイオ材料の研究です。コラーゲンを特殊な方法で細かくした「コラーゲンマイクロファイバー」を使うとうまく行くことが分かったので、その最適化などに取り組んでいます。
──研究の進み具合はいかがですか?
私たち「培養肉社会実装共同研究講座」の第一の目的として、2025年の大阪・関西万博での出展で試食ができるようにしたいと考えています。培養肉は未知のものですし、食べることに不安を抱かれる方も多いでしょう。安全性を担保することが、私たちの使命だと思っています。
私たちは当初、実験用の細胞やバイオ材料を使って研究していたため、それらを食べられるものに置き換えないと実用化できません。今はその段階です。
まず、細胞を食べられるものにするため、和牛の工場から食肉処理したばかりの肉をもらってきて、そこから筋肉や脂肪細胞の元になる細胞を取ることにしました。
培養する培地や栄養分なども、食品添加物として認められているような食べられるものに変える工夫をしています。さらに私は、バイオ材料のコラーゲンマイクロファイバーをいかに食べられる材料に置き換えるか、という研究に取りかかっています。
コラーゲンは非常に難しい材料で、抽出の方法によって性質が大きく変わってしまうんです。実験用の材料ではちゃんと3次元にできても、他の材料に変えると同じ結果が得られなかったり……。いろいろな課題に直面しています。
培養肉の実現は、環境負荷を減らすためにも重要です。私は大学生の時、農学部の森林系の研究室に所属し、温室効果ガスにはずっと関心を持っていました。仕事がそこにつながっているというのは、非常に大きなモチベーションになっています。
──加藤さんは、TOPPANホールディングス総合研究所の上級研究員でもありますね。総合印刷会社であるTOPPANがなぜ、大阪大学と培養肉の共同研究に取り組んでいるのですか?
凸版印刷は今年10月に持株会社体制に移行し、TOPPANホールディングスに社名変更しました。社名から「印刷」を外し、世界中の課題を突破するという決意を込めて「TOPPAN」としています。培養肉の研究に取り組んでいるのも、会社の方向性にうまく合っていると感じています。
TOPPANはもともと、プラスチックなどを精度よく加工する微細加工が得意分野でした。現在は別の会社に移管していますが、DNA配列の違いを検査する装置を開発したことがありました。そこからバイオ系の研究が始まっています。
そして、今から十数年前、「バイオで次に何をやろう」「次は細胞だ」という話になった時、細胞を3次元的に積み重ねる技術が出てきていました。私の上司が「これだ」と直感的に研究テーマに決めました。その後、2017年から大阪大学と共同研究を始め、今年はさらに培養肉社会実装共同研究講座も設立して、現在に至ります。
──フォトニクス拠点に参加して、どのように感じましたか?
フォトニクス拠点にはさまざまな分野の研究者や企業の方が参加しています。このため、「私たちの研究は、外部の方々からどのように見えるのかな」という興味があります。あるワークショップで、未来の暮らしについて話し合っていると、「自分が食べたいものを、食べたいだけ食べられるようになってほしい」とおっしゃった方がいました。これは培養肉の考え方と非常に合致しています。私たちの培養肉は、赤身と脂身の量を自分の好きなようにコントロールすることが可能になる技術です。こういう技術って、皆さんの夢の技術として考えてもらえるんだな、やりがいがあるんだな、と思いました。
──フォトニクス拠点では、研究の他にどのような活動をしていますか?
アウトリーチリーダーも務めています。拠点の研究開発を、社会に対して目に見える形で示す役割です。その一環として、大阪大学が今年7月に開催した共創デイというイベントで培養肉と培養の機器を展示しました。
また、私は企業人でもありますから、その立場で意見を求められることもあります。
──ところで、肉は好きですか?
好きですね。何かいいことがあったときは、必ず家族で焼き肉に行くようにしています。肉を研究しているというのが、良い口実になってます(笑)。ただ、だんだんと脂身がきつく感じられて、あまり食べられなくなっています。
私たちは、将来的には家で肉をプリントできるようなところまで持っていきたいと思っています。ミートプリンターですね。今、店で売っているに食ってオーダーメードではないですよね。ところが、ミートプリンターがあれば、脂の割合を自分が望むようにしたり、バイオインクを交換して米国の肉を作ったり、ということができるようになるはずです。そのように、みんなが安全に好きな肉を食べられる未来って面白いなと思います。
──最後に、今後の抱負をお聞かせください。
まだまだ遠い技術だと思われている培養肉ですが、もっと身近に感じてもらえるように、主に安全性の面をアピールして、皆さんの信頼を得られるように頑張っていきたいなと思っています。