「家庭でPCR検査を」~産業技術総合研究所・永井秀典さん
新型コロナ禍で、「PCR検査」はほとんどの人が知っている言葉になりました。このPCR検査を家庭で手軽に実施できるようにしたいと、国立研究開発法人・産業技術総合研究所(産総研)の永井秀典さんは装置の超小型化や高速化に挑んでいます。産総研の先端フォトニクス・バイオセンシングオープンイノベーションラボラトリ副ラボ長であり、「フォトニクス生命工学研究開発拠点」で研究課題「小型・低コストな診断・検査機器の開発」のリーダーを務める永井さんに、研究開発について聞きました。(聞き手・サイエンスライター根本毅)
──これまでどのような研究開発をしてきたのですか?
大学院工学系研究科に在学中は、半導体微細加工技術の研究をしていました。シリコンウエハーに数万個のマイクロサイズの穴を作り、そこに細胞を一つずつトラップしてPCR法で遺伝子を調べる。そのような技術です。
卒業後は産総研に所属し、微細加工技術を用いてさまざまな分析装置を小型化、高速化する研究を続けています。
──微細加工というと、どのくらいのサイズなのですか?
数十μmや数μmの穴や溝を掘ります。数百μmの太いものもあります。サイズが小さくなると、普通のサイズの試験管ではできない原理や現象を使えるようになるため、この効果を利用して分析を高度化しています。
──「ミクロの世界」では、物理現象が変わってくるということですか?
そうなんです。例えば、体積に働く重力よりも表面が寄与する抵抗の影響の方が大きくなります。身近な例だと、チューブの中に液体を入れた場合、太いチューブよりも細いストローの方が液体が落ちにくくなりますよね。これは、表面の抵抗が勝って、重力で落ちにくくなるためです。
また、サイズが小さくなると熱交換も速くなります。これを利用し、PCR検査機器の小型化・高速化に取り組んでいます。PCR法は、反応液の温度の上げ下げを繰り返してDNAを2倍、4倍、8倍……と増幅する方法です。私たちは、非常に少ない量の反応液を素早く温度変化させる技術の開発に成功しました。今、高速なPCR装置として世の中で使われ始めています。
──詳しく教えてください。
PCR法では、60℃前後の「低温」と95℃程度の「高温」の間の温度変化を30~40回繰り返します。広く普及しているPCR検査機器は、プラスチックの小型試験管に反応液を入れて温度を上げ下げするため、温度変化に時間がかかります。
一方、私たちが開発したPCR装置は、約500μm幅のマイクロ流路上に「低温帯」と「高温帯」の場所を作り、反応液を行ったり来たりさせます。「低温帯」または「高温帯」に乗った瞬間に温度が変化するため、従来は140分かかっていた反応を13分に短縮できました。10倍高速化したことになります。
特許を取得したのが2014年です。2015年に産総研発ベンチャーを設立し、CTO(最高技術責任者)に就任しました。その2年半後の2017年に製薬会社に事業譲渡しましたが、引き続き試薬開発などで協力をしています。
装置は2019年11月に発売されました。直後に新型コロナウイルスの流行が始まり、ウイルスを検出する試薬の開発にも携わりました。導入を急ぐ必要があったため、非常に苦労しました。
今回のパンデミックで、家庭で使えるPCRの必要性を痛感しました。PCR検査のニーズが非常に高まる一方、検査のための外出は感染のリスクを負うことになります。この時の経験が、フォトニクス生命工学研究開発拠点での今の研究につながっています。
──拠点では「小型・低コストな診断・検査機器の開発」を担当し、目標の一つに「家庭用超小型PCR検査」を掲げていますね。
そうです。家庭用のPCR検査機器の開発を進めています。さらに、DNA配列を読み取る「DNAシーケンサー」の高速化にも取り組んでいます。実現すれば、感染した病原体や腸内細菌の種類を速やかに同定できるようになり、医療やヘルスケアに役立ちます。
──DNAシーケンサーは、どのような方法で高速化するのですか?
DNAシーケンサーもPCR法を使うため、PCRの高速化によってDNAシーケンサーも高速化できました。
DNAの配列を読む方法にはいくつかあります。最も正確なサンガー法は、PCRで遺伝子を増やした後、PCR装置を使ってDNAに蛍光標識をします。最後に電気泳動でDNAを分離し、標識された蛍光を読み取ります。
既存の装置では①PCR140分②蛍光標識90分③電気泳動145分――かかりますが、私たちはそれぞれ①13分②14分③14分――と、ほぼ10倍の高速化を実現しようとしています。最後の電気泳動も、髪の毛サイズの太さの流路を使うことによって分析時間を一気に短縮できました。
開発した方法で、大腸菌などさまざまな菌種の同定に成功しています。
──実用化のための課題は何でしょう。
検出器の感度です。反応液を少なくした分、わずかな蛍光を検出しなくてはならなくなり、超高感度な検出器が必要になりました。そう、この拠点のフォトニクス技術です。大阪大学の高度なフォトニクス技術と組み合わせることで、家庭に持ち込めるような超小型の装置ができあがると期待しています。今は蛍光標識が必要ですが、将来的には非標識で分析できるようになるかもしれません。
──超小型PCR装置やDNAシーケンサーの開発のほかにも、目標はいくつかありますね。
腸内細菌による健康診断法の確立や、血液中の細胞を一つずつ解析するという精密な医療デバイスの開発にも取り組んでいます。
私たちが目指すのは、「人に優しく、手軽に体や環境を知る」ことと「ひとりひとりに寄り添う精密な医療」の実現です。例えば、病院に行くのが困難な高齢者の方などにも家庭で手軽に医療を受けていただけるように、診断・検査機器を開発していきます。実現すれば、海外の患者さんにも国内から医療を提供できるようになります。途上国であっても先進国の医療が受けられる社会を作りたいと考えています。
──研究開発のどのようなところに面白さややりがいを感じていますか?
「世の中の役に立ちたい」と思っているので、研究成果が実用化された時の達成感はものすごく大きかったですね。学生時代はそれほど思いは強くありませんでしたが、世の中のための技術を目指している産総研に入って意識が大きく変わりました。
高速PCRの製品化まで、とても苦労がありました。研究をしていると、お客さんを意識することは一切ありません。研究の新規性などを追い求めればいいだけです。しかし、実用化にはユーザーの使いやすさやソフト開発、装置のデザインなども考えなければなりません。突きつけられる要求はとても厳しい。この時の経験は非常に勉強になりました。拠点でも役に立つと思います。
──今までさまざまなプロジェクトに関わってきたと思います。それらと比べて、今回のフォトニクス生命工学研究開発拠点はどのような違いがありますか?
他のプロジェクトは、申請時の計画からぶれられないことが多いと思います。過去に関わったプロジェクトで経験したのですが、研究を進めるうちに他にも活用できることが分かったのに「申請時に書いてないので、やっちゃダメです」と言われました。こうした硬直性は課題です。一方、今回の拠点ではそのような縛りがなく、ビジョンや研究目標の見直しができます。実際に、育成型から本格型に移行する過程でテーマを一部変え、シーケンサー開発を加えています。現在の日本で、見直しができるプロジェクトは非常に特殊です。
──家庭用のPCR装置を実現するには、低価格化も必要です。どのような方法を考えていますか?
拠点には、企業連携の場である「フォトライフ協議会」も参画しています。メンバー18社の中には検出器を安価に作る技術を持つ企業もあるので、そのような企業と組みながらコストダウンを図りたいと考えています。
──最後に、今後の抱負をお聞かせください。
拠点でも、ベンチャー化によって速やかに社会実装を目指したいと思っています。とにかく早く世の中に届けたいですね。
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