生きる。写真を撮るということは。
写真をやってて良かったと思う。
僕の人生を支えてきてくれたのは写真を撮ることとだった。
もうずいぶん前のことになる。
用事を済ませたある朝。晴れとも言えない曇り寄りの晴れ。バスに乗って心療内科に行った。バスの車内は、座席に程よく乗客が埋まっている。その帰り道に色々考えた。バスの外を見ながら、モヤモヤしていて、その正体はなんだろうと。
よく考えて、わかったことがある。医師も、カウンセラーも、結局は、心の病がない世界まで僕を引き上げてくれるわけではないということだ。
結局は1人の戦いなんだ。
当たり前のことに気づいた。
そうして、寂しさと虚しさが込み上げてきた。
そうして、怖くなった。
唐突に結婚についてこんな文章を読んだことを思い出す。
ーーどちらか一方でも自分に向かい合い続けることをやめた時、その関係は終わりを告げるのかもしれない。
ーーー
引用以上
向かい合い続けること、お互いに変化して、それを受け入れ続けること。そんなようなことも書いてあったと思う。
それは、結婚だけではないような気がする。
夫婦関係はもちろん、子供との関係、友人との関係もそう。そして、自分自身との関係も。
常に変化しゆく関係に、向かい合う。変化に向かい合う。
きっと、医師が、カウンセラーが、なんとかしてくれる。
心の底の方で、少なからずそう思っていた。
自分が変化しようとしていなかった。変化を恥ずかしがったし、そんなんじゃうまく行くわけない。
そんな当たり前のことを、違うと悟り、孤独だと思った。だから、寂しくなった。なんて自分勝手だ。
その覚悟を持たないものに、誰の助けも受け入れる資格がないような気がした。強くなりたい。
僕に写真がなかったら、一体どんな人生を歩んでいただろう。
孤独を感じても、絶望したとしても、ネガティブな気持ちに苛まれるだけではなく、カメラを手にすれば、日々にシャッターを押したくなるような感動を見つけることができる。世界はいつも美しいと気づかせてくれる。
僕の人生は写真に救われている。
変化する先の世界に足が竦んだとしても、また、もう一度。いや、何度でもやり直せばいいよ。
そう思った日。