読みたい本が手元になくて、観たい映画も特に思い付かなくて、お店が開いてる時間でもなくて、眠くもないとき。 落書きをしてみる。 前回の落書きをインスタにアップしていて、日付を確認すると3年前だった。 そりゃ上手くなれるわけ無いよね。 『写真家とは絵が描けない絵描きである』 と誰かが言っていたと、誰かに聞いた(記憶力、笑) 確かに🙄 でも写真が撮れるなら、写真家が描く肖像画が似てなくても問題ない。 料理は料理人に、絵は画家に、写真は写真家に。 付けまフッサフサ
衣替えをしていたら、失くしたピアスを引き出しの底で見つけた。 つけないと落ち着かないほど気に入ってたシルバーのピアス。 見つけることが出来て嬉しかったけど、また使うかどうかはわからない。 無いことに慣れるとそんなもんよね。 人も同じ…。
最近どんな現場でも天気の話の代わりにコロナでどんな損害を被ったかみたいな話題になる。 話題に困ったときの隙間を埋めるためには皆が共感できる話をするしかないからだ。 それはそれでいいのだが、あまり続くとさすがに気が滅入ってくる。 「でもその前のこんなパニックがスペイン風邪で、その前がペストとかでしょ、すごい歴史的なピンチを味わっているんですよ、レアじゃないですか。楽しむわけにはいかないけど、生き証人として見届けられるのって貴重な体験ですよ」 と言った人が居た。 ついこの間、
紙の本の感触が好きだ。 先日はこの休暇のために本を沢山買ってきた。 エアコンを強めにしてジャスミンティーを大きなグラスにたっぷりと注ぐ。 小さめのボリュームでKNKX-FMをかける。 ラジオも好きだ。読書や仕事をしながら聴くラジオは海外のFMが良い。 日本語のラジオはつい聞き入ってしまうが海外のラジオなら私の語学力だと上手に無視することができる。 よっぽど意識を凝らさなくては聞き取れないから。 柑橘系の香水で頭を覚醒させて静かにページをめくる。 夕方から読み始めてあっと
写真は去年、華道教室の先生が活けたもの。 華道家の先生が花を活けるところを見ると、母のことを思い出します。 亡母も別流派の師範の資格を持っていました。 なにかと作法などに口うるさかったのですが、大人になってようやくその躾の意図がわかるようになってきました。 帯を締めるとき、来客に平伏し畳を見つめるとき、来客前の打ち水、花器に水を満たすとき、茶室の炉に炭をおこすとき。 書道の墨を擦るときや、弓道の残心…。 習ってきたことの一つ一つにそのプロセスを欠かせない理由がありました