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カメラマンになったきっかけ

こんにちは!
フォトクリエイターの須田風五(すだ ふうご)です!

noteの投稿は今回で3回目!
過去の話が続く回ですが、少しでも私のことを知っていただけると嬉しいです。

1,写真にハマったきっかけ

時は遡り、私が小学2年生の頃に、誕生日プレゼントとしてCanonのコンパクトデジタルカメラを両親に貰ったことが全ての始まりでした。カメラ界隈ではコンデジと呼ばれている小さなカメラです。
カメラの原理なども知らないあの頃は、ただ写真を撮ることが楽しくて仕方なく、
学校から帰ってきてはカメラに触れる日々を過ごした記憶があります。

今更ながら、小学2年生にしてはちょっと贅沢なおもちゃだったと思います(笑)
パソコンの故障で消えてしまったものもありますが、10歳の頃から撮り続けたデータは今でもすぐ開けるように管理しており、時々見返しています。

当時撮った写真↓

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懐かしいことに右下に日付が入っています。
水平も歪んでいますね(笑)

なんだかんだで月日が経ち、小学5年生で地元のフォトコンクールこどもの部に応募する機会が訪れます。
結果、準優勝となってしまったことが悔しくてたまらなく、もっと上手になりたいからと父の一眼レフカメラを奪い取り、どんな被写体でも隈なく撮り続けました。
よっぽど悔しかったのでしょう。

高校生になり、更に悔しい出来事が起こります。

・高校で写真部の部長だったが部内を盛り上げることが出来ず、廃部一直線に。
・文化祭で写真担当になり、閉会式でスライドショーを流すことになるも、仕上がりに満足がいかなかった。

何がダメだったのか?何に満足していなかったのか?
書ききれないほどの反省点を挙げても中々解決には至らず、次第に真剣に写真を学びたいと思う様になりました。

2,なぜカメラマンなろうと思ったのか

ここまで話せば最初からカメラマンを志していたのだろうと思われがちですが、実はカメラの他にも工業系を目指していた時期もあったのです。
元々機械系に興味があり、自作パソコンを作ってみたり、プログラミングに手をつけたりとコンピューター関係の仕事をしてみたいと思っていました。

ですが、いざ進学となった時、趣味を遥かに超えるほど熱中していたことがあったと思い出しました。

「カメラマンになる!」

今思うと、初めてカメラを手にした日から将来は決まっていたようです。

私は小学生の頃から家族をはじめ、親戚から近所の人にまでカメラを向け、
写真を渡してきました。
周りの人に写真を届けることで笑顔にさせることができたり、写真をきっかけに年代を超えたコミュニケーションが生まれることがとても素晴らしいことだと気付いたのです。
時には涙し、過去に懐かしみ、感情を揺さぶることまでできるパワーを持つ写真と、人と接することの魅力に気付いた私はカメラというツールを選び、すぐに写真学校へ通うことを決めました。
先述した、1の最後の
「何がダメだったのか?何に満足していなかったのか?」について、
結果的には人を頼ろうとせず、全て自身で完結させてしまったことが原因だったと結論付けています。
写真そのものがダメだったわけではなく、コミュニケーションを取りながら進めなかったことが問題だったのです。高校生の頃、思い通りに行かなかった出来事も写真学校へと進む大きなきっかけとなりました。

なぜ小学生で出来ていたことが高校生で出来なかったのかは思春期真っ只中だったからかもしれません(笑)

そして写真学校で様々なことを学び、なぜスクールフォトの道に進んだのかというと、写真を残し、形として誰かに伝えていくことに意味があると気付いていたからです。
やっていることは昔も今も変わりません。
幼少期、とにかく写真を残していた意味が今のお仕事にも繋がっています。
詳しくは私の自己紹介ページの「私が思う写真とは...」にも書いてあるので、良かったら読んでみてください。

3,この先のこと

プロカメラマンの領域に一歩を踏み入れたのですから、それなりの覚悟はあります。
私が病気になろうとも必ずやスクールフォト、あるいは何かしらのものを撮り続けるつもりです。
今の目標は、カメラに収めた全ての方が幸せになれるカメラマンになることですが、如何せん能力が足りず、悩む日々を送っています。
ですが、写真について悩んでいる時間が意外にも楽しかったりするのです。もう病気かもしれません。

この先もカメラを手放さない決意表明をここに記しますので、どうぞ生暖かい目で見守っていただけると幸いでございます。

何事も楽しみながら継続と挑戦をする心が大切ですね!
まだまだ続きますのでお楽しみにどうぞ!