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「表現すること」(3)

表現すること2」の続きです。

ところで皆さまは子供のころに自分の描いた絵や作った工作を否定されたり、批判されたり、大人の評価基準に満たないことで作り直しを命じられたことはありませんか?

また歌を歌ったりダンスを踊ったりしたときにその技術面で怒られたりバカにされたりしたことはありませんか?

様々な好条件に恵まれこのような経験のない方は、ほんとうに幸運だと思います。

しかし多くの方が子供の時代に上記のような苦い悲しい経験をしています。私ももちろんそうした経験があります。

それから「もう自分は二度と描くまい、歌うまい・・・」と多くの方が思ってしまうようです。とても悲しい話です。

過去に自分の表現を否定され傷つき、辛い思いをしたら、誰もが警戒してもう二度と同じ思いはしたくない、表現なんかしないと思ってしまうのは当たり前でしょう。


特に学校教育の中では表現アートが教科になっていて、技術を指導しそれに応じて成績をつけなければならないので、子供の作品を批評するなと言っても難しいでしょう。

いつの頃からか、指導要領に従って技術向上に子供を導かない教師は「指導力不足」のレッテルを貼られかねないそうです。

そのような状況ではよほどの好条件に恵まれない限り何らかの形で前述の悲しい経験をすることになるでしょう。

しかし人間は本来、何かを表現したいという欲求をもっているのです。

ですから何らかの形で自己表現をするのが自然な姿でしょう。

前回お話したように「表現アート」などと言っても、芸術作品を作りましょう、舞台に立てるようになりましょうと言っているのではありません。

機会と時間を作って、自分のために心を解放するために表現してみてほしいのです。

そのためには自分の表現を介して傷ついたり悲しんだりすることのないよう、安全で安心な環境が必要です。

その作品を誰かに色々言われたり、分析されたりすることがあってはなりませんし、作品を人に見せたくなければ見せる必要はありません。

そうした適切な環境の中ではじめて、人は自分の内面を外に出せるのです。

当フォトセラピー・ワークショップにおけるセラピスト(これを書いている私です)の大切な任務はまず誰もが安心して自由に(写真)表現をできる場を提供すること。
撮影や写真に対して干渉、批評、分析はせず、参加者同志でもそのようなことがないよう気を配っています。

参加者の皆様には、自分は傷つけられないということを実感して欲しい。そして「自分も他の誰かを傷つけない」というルールも守っていただいています。

幸いグループワークに参加してくださる皆様はとても良い方々で、安全な場作りにご協力いただいています。そしてどの方にも生き生きと心からワークを楽しんでいただいています。

参考:講演「芸術療法の可能性と限界」鈴木 康明 

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