IRLとCART ~ホンダがトップ快走~

その当時、決勝レース前より不穏な空気は伝統イベントを包み込み会
場埋め尽くしたファンに関係者も先行きを不安視していた。私達日本
への報道陣(当時はTV生中継・筆者はそのブレーン一員として非常
勤なる番組製作一員としてTV局側現地スポンサー等の人脈などあり
参加中)次年度の放送有・無を決めかねていた。
所がその前に大事件が起きる、前年度に予選落ち屈したHONDAエ
ンジンは大活躍、フリー走行ではポールタイムを上回る快走ぶりで
公式予選もエキストラ・ブースト無しで予選3番手をカナダ人レー
サー、スコット・グッドイヤーが叩き出す。ワークス撤退のビュィ
ックはカスタマーチームチューンのメナードV6OHCにエキスト
ラブースト許されポールシッターとなる。(カムカバーやターボ
系統の部品へ派手なUSAロゴが入っていた)。7基のフォードXB
にシェビーはタイプBが「ビュィック形式真似た違反」で出場出来
ず、旧型なるタイプAと新開発でイルモア・ブランド名に切り替え
たタイプCの投入も図られた。だがそれよりもスクープになったの
は名門の予選落ちに尽きる。

”自社シャシー開発の限界に前年エンジンの不公正さが露呈の名門”

 ペンスキーはライバルのボビー・レイホールが申し出た予選をク
リアー出来るマシンのリースさえも「自分達でセットアップしたせ
いで時速218マイル・4周平均はコンスタントに出せるマシンを3
マイル遅くしてしまう」(ローラT95/シェビーA)、二台のマシンは
黒のカーボンがむき出し部分+アルミハニカム構造シャシーにペンスキーのメイン・スポンサーは貼ってあったもの(当時のオーナーが
スポンサー企業重役であったのもあるが)。ボビーレイ自身、イン
ディ500予選落ち経験している”かつての同レース優勝経験者”。
このスポーツマンシップの良さは他の(米国以外)では同じモータ
ースポーツでお目に掛かれない事項といえる。
*:尚、ペンスキーの不調は前レースでホームコースのペンシル
バニア州ナザレス(ショート・オーバル、別名ロードアメリカ)
で新開発シャシー間に合わない等で不協和音が聞こえていた。

「ペンスキーの予選落ちは翌年のIRLとCART分裂開催へ教訓」。

主役チームのいないレースの放送は最終的に”モータースポーツとい
う報道を日本のファンへ行うべき!”と筆者が多くの実例を挙げて実
践された。そして放送後にIRLとCARTの分裂開催となり翌年の放
送はどうするか?になった。

   ”中継の決定打は何だったのか?”

 会議の途中に中継ブースを抜けて一服(外・今は禁煙で出来ない)
中にTV幹部より尋ねられた。
「来年はどちらに行くのかな?」。
”決まっています、伝統あるここインディ500へ来ますよ!”。
「理由は?」。
”CART会場のMIS=(ミシガン・スピード・ウエイ)は確かにス
ピードだけならここIMSより出ますが、公共交通手段では移動が
無理だし、トライアングル・オーバルで速度出るバックストレッチ
側に観客席が無いんです。ピット等もここと比べたら・・・。”

 現場の声を比較するまでもなく翌年度の生中継はインディ500
で準備方向となる、IRL懸念材料は当時ルールで時代遅れな?V8
NAエンジン(ストックブロック・アメリカンV8エンジン)開催を
予定していたのを結果的には型落ちなCARTへ使用のフォードや、
シェビー等のターボエンジンOKとなり、タイヤ戦争がピリオドを
打つ大会に至った点(現在のファィアーストーン・ワンメイクス
きっかけ)。

 IRLインディ500はスタート後の混乱以外は順調に終えた、しか
し懸念が当たった?のかUS500のタイトルで始まったCART500
は、3回ものやり直しで最初の多重クラッシュ・やり直しの際に私
達自身IMSプレス・ルームで「やはりなあ~」と呟いていた。
元来、横二列にてのローリング・スタートでしかNASCAR含めて
開催経験が無いスタート&フニッシュラインのグランド・スタンド
前はMISだとバンク手前でカント以上の勾配ある(勾配角度9度
以上が原則・バンク)路面も年数回のレース開催(当時)と同じ
条件比較すればMISは観光地でもない寒い場所なので非常にバン
ピー、起きることが起きたというのが率直な感想。
(観客の入る座席総数はIMS比較し少ないのでインディ500と
同等の数が決勝で入ったらしき数はIRS=国税歳出入庁のヘリで
数えたものだろう。(現在はドローン活用かな)。
分裂開催は最初の”二度”は観客動員数に売上も同等であった、しか
し昔もあったことがまた起きる。絶対的な歴史的なイベントの値打
ちそして「レース場にあるべきものがIMSへは設備として備わっ
ており、CART中心のペンスキーが復帰し始めたら他チームも同じ
行動になる」。

くしくもこのタイミングで日本への生中継も現地中継権保有局の
変更により契約が変わり他社となる。複数の民放が短期間に担当
した後(一時的に地上波担当は消えたが)現在の放送方式になった
と記憶する、これは日本のエンジンサプライヤーに勝てる日本人
レーサー登場したからの帰結であり、私達はそこまで行く「開拓者
とその道しるべ」を構築したに過ぎない。

本年より電力補助をインディ500へも導入される、この技術転用
が近い将来の新型F-1エンジンへ活用されよう。