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ありのままでほっとしてもらえる人に【現代人にも通ずる聖書の言葉】


この記事に書いてあること

この記事では、カトリック(キリスト教)の信者である筆者・城本みちるが
現代人にも通ずると思われる聖書にある言葉や考え方をご紹介します。

この記事を読むと、

  • 自分は自分のままでいいんだ

  • ありのままでいていいんだ

  • 自分もほかの人もありのままで必要とされているんだ

  • 置かれた環境って大事なんだ

  • 社会で活躍できなくてもほかにも輝き方ってあるんだ

  • いっしょにいてほっとできる人っていいな

というように少しほっとした気分になれるかもしれません。
ぜひ、お読みくださると嬉しいです。

塩であり、光である人間

聖書には根本的に人間は、ありのままで必要とされている存在だと書かれています。

 「あなた方は地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなた方は世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

『聖書 新共同訳』マタイによる福音書5章13節‐14節

人間は、地の塩であり、世の光なのです。
その塩も光も人間にとってなくてはならないものであり、必要なものです。

そして、塩に塩気がなくなれば役に立たないといいます。
この塩気はきっと、ありのままの自分でいることや自分らしさを
表した表現でしょう。

ありのままの自分で必要とされている。
むしろ、ありのままの自分でいることこそが必要で大切なんだと
教えてくれる箇所です。

置かれた環境の大切さ

それから、キリストは言葉を続けます。

 また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。

『聖書 新共同訳』マタイによる福音書5章15節

必要とされるともし火も
置かれた環境によっては十分に輝くことができません。
自分の輝ける場所を見分ける必要があります。
置かれた環境によって力を発揮できるかが決まるのです。

ともし火のような人になれたら

このおはなしは、次のように締めくくられます。

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

『聖書 新共同訳』マタイによる福音書5章16節

それぞれがそれぞれに光を輝かすことが大切。
人々が立派な行いを見て、天の父をあがめるようになるためにそうする必要があるようです。

ここで少しびっくりしました。
立派な行いってあるけれど、それってなんだろう?
病気で家から出られなかったり、社会では活躍できない方もいる。
そんな方々はどうしたらいいんだろう?
そんな疑問もお世話になったシスターの言葉で解消されました。
箇条書きにします。

  • ともし火は見ていてほっとする

  • ほっとされる人になろう

なるほど!
人によっては、自分が自分のままでともし火として輝く方法は
社会でバリバリ活躍するだけじゃないんだ。

たとえば、朝、家族と顔を合わせたときに
ほほえみながら「おはよう」ということ。
そのことにも大きな価値があるんだ。

この人といるとどこかほっとする。安心する。
そんな人にひとり一人がなったら、
いや、そんな知り合いが一人でもいたらいいなぁって思います。
そして、自分自身もそんな
いっしょにいてほっとしてもらえる人になれたらとしみじみ思いました。

まとめ

  • 人々はありのままで必要とされている

  • 置かれた環境によって力を発揮できるかどうかが決まる

  • 社会だけが活躍の場所じゃない

  • いっしょにいてほっとできる人がいると安心

  • 自分自身もいっしょにいてほっとしてもらえる人になれたら

今回ご紹介した聖書の言葉と考えはいかがでしたか?
合う・合わないはどうしてもありますよね。

それでも少しでも誰かの心に響いたらいいなと思って
この記事を書きました!
読み終わったときに心が軽くなっていたら嬉しいです。

また聖書の言葉をご紹介する記事を書こうと思います。
ここまで読んでくださりありがとうございました。

城本みちる


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城本みちる
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