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No.5 自由と責任の進化について

ダニエル・C・デネットの『自由は進化する』は、メインテーマに入る前に、決定論と自由意志に関する哲学的な論争の部分がとても長いので、まず、この部分の結論だけ書いておこうと思う。「もし決定論によって未来がすべて決まっているのだったら、自由意志なんて存在しないじゃないか」という伝統的な怖れに対して、デネットは、「決定論か非決定論かは『原子レベル』での話で、それらが集まってシステムとして構成された『設計レベル』では、決定論か非決定論かに関係なく選択は可能で、自由意志は存在する」と反論している。また、「非」決定論の立場をとったとしても、それで自由意志の定義要件が満たされるわけではないとも言っている。

ということで、この問題にはこれ以上深入りせずに、メインテーマである自由と責任がどのように進化してきたのかを、翻訳者の山形浩生さんによる「要約」の助けも借りながらまとめてみる。

  • 自由とは、自ら選択をする能力である(自由が権利だというのは法的な概念)。

  • 翻訳者の山形浩生さんが「自由とはシミュレーションのツールである」と解説しているように、実際に選択を行う前にシミュレーションができれば、その結果に基づいてよりよい選択を行うことができる

  • 太古の生物において「回避の誕生」が起こって以来、生物は自由が増える方向に進化してきており、自由意志は進化の理論のなかにきちんと位置づけられている

  • 脳が発達した生物は、遺伝子の突然変異や自然選択を経由しなくても行動変化を起こせるようになった

  • ヒトが言語を発明し、他者とコミュニケーションできるようになったことは、自由の進化史においてエポックメイキングな出来事であり、これによって、自分が経験していないこともシミュレーションできるようになった

  • 自分と他者のシミュレーション結果を比較するためには、自分と他者を並べて考えるための「自分」という意識が必要で、この意識によってシミュレーションはいっそう高度化した(つまり自由が増えた)

  • 「自分」という意識を持てるのは、大脳新皮質が関与するメンタライジング能力(志向姿勢)のおかげである

  • 狩猟採取生活をしていた先史時代から現在に至るまで、ヒト(ホモ・サピエンス)の遺伝子はほとんど変化していないにもかかわらず、言語、コミュニケーション、そして文化を獲得したことによって、ヒトの自由は加速度的に増大した

  • 自由を行使し選択したことの結果は、自ら負う責任がある。

  • 責任を支える道徳的な心の動き(先日アップした「利他性と共感の進化について」を参照)は、自由と共に進化してきた

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