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休日

土曜日の夕方
最寄りのひとつ隣の駅の本屋さんに本を買いに行く。
近所だけれど、お気に入りの服を着て、可愛いイヤリングをして、大好きな人からもらったネックレスをして、新しく買ったリップを塗る。
それだけで、自分が他の何かになれた気がして、ソワソワする。
久しぶりに乗る自転車。冷たい風でハンドルを握る手が冷えていくのが分かる。
特に買いたい本があるわけでもなく、フラフラと本屋さんを散策する。
新年だからか、おばあちゃんに手を引かれ大きな瞳を輝かせてキョロキョロする小さな子供たちの姿が多く見られた。
小さい頃の自分を見ているようで、無意識のうちに目を細める。
孫を見る祖母の表情はどの家族も穏やかで、楽しそうに周りを見渡す孫の様子を心から喜んでいるようだった。
私のおばあちゃんやおじいちゃんも、私をどこかへ連れていってくれる度にこんな表情をしていたのかなあ、そう思って心がじんわりと暖かくなった。
あの時には分からなかったことが、少し大人になった私にはわかったような気がした。

沢山の本を手に取って見るけど、どれもイマイチで長い間本を選んでいた。
乱雑に並べられたうち一冊の本が、私の目に留まり、手に取ってみる。
「朝が来る」
好きな作家さんの本だった。
本の裏表紙に書いてあるあらすじをサッと読み、優しいクリーム色の紙をめくる。
なんでもないフレーズから始まったその本は、あっという間私を物語の中へと引き込んだ。

本を買って、店を出たあと喫茶店を探す。
地下に続く階段の先に、暖かな光が漏れる木材を基調とした喫茶店がひっそりと佇んでいた。
ガラガラと古びた音と共に自動ドアが開くと、温まった部屋の暖気と中から微かに煙草の匂いと珈琲の香りがした。
店内にはおじいさんが1人だけ。
「お好きな席にどうぞ」
そう言われて、私は贅沢にも一番奥の4人席に腰掛ける。
紅茶のシフォンケーキとアメリカンのケーキセットを頼んで店内を見渡す。
広い店内には、私とおじいさんしかおらず、流れるジャズが時の流れをゆっくりと感じさせる。
しばらくぼーっとしているうちに、ケーキセットが運ばれてくる。
珈琲を一口飲み、口の中に広がる香りに舌鼓を打つ。
紅茶のシフォンケーキは、生クリームがたっぷり乗せられていて、口に入れただけで紅茶の香りが濃密に広がるケーキと相性抜群だった。
本を取りだし、読み耽る。
30頁くらい読んだところで、おじいさんは会計を済ませ、店を出ていく。
入れ替わりで、30代後半くらいの男性が入ってくる。
彼はメニューも見ず、ホットコーヒーと店員さんに言いつけると、私の隣の隣の席に腰掛ける。
コートを脱ぎ、椅子に置くと、煙草を取りだし、口にくわえ、火をつける。
ふーっ…と息を吹くと白い煙がもくもくと出る。

煙草の匂い、珈琲の香り、まな板と包丁の音、アイスボックスから氷を無造作にグラスに入れる音、コップを洗う水音、男性客が電話をする声、軽快なピアノの音。

全てに浸りながら、気に入った本を読む。
第1章を読み終える頃に、母から連絡が来る。
「今日はカレーだよ。」
その連絡に胸を躍らせ、会計を済ませて自動ドアをくぐり抜ける。
外は寒さを増して、白い吐息が出るほどだ。
それでも心は暖かく、満たされている。

ああ、今日もいい休日だったなあ、なんて思いながら母のカレーを楽しみに自転車に跨る。

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