福島へゆく(2023秋)
2023年9月に、福島県いわき市まで旅行にいったときのメモ。本当は東北旅行全体のメモだったが、書ききれていなかったものの前半部分になる。しずかなインターネットにも載せたが、noteにも。
この旅行は3泊4日で、1泊目をいわき駅前に。2,3泊目を仙台駅前とした。特に狙ったわけではないものの、ALPS処理水放流から1週間後ということもあり、なるべく福島や宮城の海の幸を直接食べたいという気持ちをもちつつ、仙台空港到着後レンタカーで海沿いを走って南へ向かう。途中、震災遺構となっている中浜中学校に寄った。13年前に起こった地震・津波が、5年前に北海道で発生した地震に比べても強大で、言葉にすれば陳腐ではあるものの、ストレートに時間は経ってしまったものの直接遺っているものを見ることは大切だと感じる。
その後も、浜通りを南下していったので、当然福島第一原発の横も通った。帰還困難区域は未だに立入ができず、メイン道路である国道6号線の左手方向(海側、原発側)の封鎖がはじまると、区域にいる間、細い道すらバリケードが置かれている状態が続いている。つまり、一切左折することが許されない。当時避難した後一切人が入らないままだろう放置されたファッションセンターしまむらや、人が居ないことで木々や草木が道路や家屋と同化しつつある風景は、知識として知っているだけでは意味のない迫力がある。13年前、地震や津波によって破壊された土地や生活があり、最初に寄った中浜中学校はまさしく、偶然(設計上は津波等も想定されており、必然かもしれない)周囲で残った数少ない震災以前からの建物であり、それ以外の民家などは流されるか壊されるかして、撤去され、いまは田畑として活用されている。一方で、原発避難区域では、おおよそ地震による破壊も、津波による侵食もあったのかもしれないが、新しい活用などが見受けられず、人間の時間が進んでいない状況が散見された。地震や津波被害に対する復旧・復興と、原発事故による復旧・復興が、同じ言葉で語られていいのか、そこに流れている時間は本当に同じものか、うまく言い表すことも難しい。
北海道にもゴーストタウンと呼ばれ、YouTuberなりが肝試し的なことをする場所がいくつかあります。北海道知事・鈴木直道がかつて市長をしていた夕張市もそういった場所であり、チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド(ゲンロン、2013)では、ダークツーリズムの例として夕張のことに言及した文章も掲載されていた。ただ、福島第一原発周辺を見て、時間的な幅があって廃墟となりつつあることと、大震災・原発事故により突如生活が破断したことは、夕張のような経済破綻とは全く違った様相だった。エネルギー供給そのものについても、北海道には火力発電所も原子力発電所もあるが、あくまですべて北海道のエネルギーを賄うためのものである。
いわきに向かう途中、福島第一原発だけでなく、いくつもの巨大な発電所近辺を走っていった。それらの所管が東北電力ではなく東京電力というのは、北海道あるいは各地方で発電送電が完結している土地とは全く違う世界観だと思う。火力発電所も、原子力発電所もある。大きな建造物の横を走り続ける。同じ日本であり、同じような言葉で指されるものについて、言葉だけでは何もわかっていなかったんだ、という発見が小松理虔のいう「共事」の入り口なのかもしれないという思いを抱えながらハンドルを握っていた。
今回の旅行はダークツーリズム的要素が不可避であることを前提に計画したが、もちろん食欲の秋、海の幸山の幸を存分に楽しむことも計画していた。したがって、途中の道の駅にはできるかぎり寄り、完熟のシャインマスカットや桃、梨などを買い込みつつ、なみえの道の駅で海鮮丼を昼食に食べていわき市へ向かっていくこととなった。車移動ということで、公共交通機関を乗り継ぐ旅行とは異なり、生鮮品やお酒など運搬に気を使うものも買いながら道を進んでいく。
そうして、夕方少し前にアクアマリンふくしま(ふくしま海洋科学館)に到着。国内唯一のWAZA(世界水族館動物園協会)所属水族館として、イルカショーなどのエンタメ的なショーはなく、基本的に生態の解説や文化との関わりを中心に展示していた。潮目(暖流と寒流の境)を再現した巨大水槽はもちろん迫力もあり楽しめたが、入場すぐに大型水槽があるわけではなく、古代の海から始まる化石や生きた化石たちの展示は、基本的に地理的な海の広さを表現する水族館において、時間的な深さも示していて面白かった。閉館まで2時間を切っており、あまり注力して見れなかったものの、エンタメ施設ではなく博物館としての水族館を楽しめた。
夜はいわき駅前に戻り、地魚や貝類を中心とした居酒屋『貝鮮はまこう』へ。刺身、メヒカリの塩焼きや貝出汁のおでんを堪能した。北海道からわざわざ海鮮を、と色々なところで言われたが、アクアマリンふくしまで学んだ通り、暖流側と寒流側で獲れるもの、そして海岸沿いに根付いている魚や貝は地方色が出るため、むしろ出先で水産物を食べると思いがけない出会いがあったりする。
13年前、高校生だった僕はまだSNSもしておらず、なんならガラケーを使っていた。東日本大震災発生後、かつての特撮ヒーローたち(特撮出演者たち)が被災地へのエールを送るTwitterアカウントを作り、日々ツイートしているのを見て、涙ぐんだこともある。もちろん、当時は東北に足を伸ばしてもいないし、大学に入ってからようやく女川や石巻に行った程度である。東京が受けた震災の印象も、東北・被災地での印象も、感覚として刻まれないまま、干支が一周した。2018年の胆振東部地震で初めて、いわゆる大地震の被災エリアになること、北海道がブラックアウトするという状況や、職場関係で政府や自治体との連携がうまくいかないことを体験したうえで、改めていわきまで足を伸ばせて良かったと思う。
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