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おたよりコーナー#10に投稿しました。

立ち上がれおたより戦士。どうも、神山です。

 『さやわかのカルチャーお白洲』の大人気コーナー「おたよりコーナー」の第10回にて読まれた僕のおたよりを公開します。まさか月初なのにこんな長時間になるなんて…。ぼくのおたよりは序盤も序盤に読まれますので、延長なしで是非!(これ以外の長文を書いてないなぁ、読書会本は書いているけれど…)

では。どうぞ!

 こんばんは、神山です。8月のおたよりコーナー、ありがとうございました。さて、今回はいつだったかのお白洲で、書かねばとコメントしてた古野まほろについてのおたよりを送ります。

 古野まほろは2007年にメフィスト賞を受賞しデビューした本格ミステリ作家である。経歴不詳の覆面作家として活動し、2014年の著者紹介にて初めて、自身が警察大学校主任教授にて退官しているというキャリアを明かした。ミステリに青春小説・SF・ファンタジーといった異なるジャンルを絡めた作品、警察組織を舞台の中心に据えたミステリ作品に加え、小説ではない警察組織や警察用語についての解説書的な新書なども執筆している。本格ミステリというジャンルについて自覚的な作家は、新本格ミステリの登場以降登場し続けている。古野もまたその一人だが、本格ミステリのみならず、執筆活動によって社会や警察組織、官僚といったものについて、新しい見方を提示し続けている。

 古野の作品に通底しているテーマとして〈ヒトとヒトはわかり合えるのか〉という問いが存在する。この問いは、青春・恋愛的な意味合いもあれば、家族間の愛の問題、あるいは探偵と犯人、探偵と助手、加害者と被害者、作者と読者、といった特別な関係性に発生する問いであり、古野は初期作品から「わかり合えないが、わかり合おうと他者に想像力を向けることが重要」というメッセージをひとつの答えとして提示することが多い。

 このようなテーマを扱っている作家だが、ある時インターネットで「炎上」した。概要としては、ある大学のミステリ研究部が古野の作品について読書会を開き、出てきた感想をツイートした。これが、作品に対する感想としてあまりに表面的であり、批判としても機能しておらず、作者に対する煽りとなっていたことから、その内容について古野は激昂し、暴言ツイートを返したのである。応酬が結果として「炎上」につながったのは極めて強い言葉であったこと、古野のキャリアが既に明らかで、ウェブメディア記事での見出しが「東大卒作家」であったことなどが挙げられる。古野の「炎上」の原因となった言動に善いと言えるところは全くなかった。古野のフォロワーであれば、ああいったツイートをする可能性があったことを否定はしないし、擁護することすらあるだろうが、それは内輪の論理でしかない。一方で、作者を煽るような読書会の感想を大学のミス研がツイートしたことも、また別の内輪の論理でしかなかった。

 古野は今も既存作品の文庫化だけでなく、シリーズノンシリーズ小説新書問わず、様々な作品や文章の発表を通して、〈ヒトとヒトはわかり合えるのか〉どうか、読者との対話を継続しようとしている。これに対して読者ができることは、過去と切り離し、作家と作品は違うということや、作家の人格が極悪卑劣であっても作品が高品質であればよい、という立場をとることではない。過去の発言や記事、今も残っている荒らしに近い低評価レビューは消せず、それらを誘導した「炎上」があったのも事実である。それらの事実のあとで、読者は、古野という作家や作品がミステリーや警察小説といったジャンル、より広く文芸や文化のなかで、どのような立ち位置にあるのかを考え、語り継ぐ、批評することができる。

 批評するとは、どういうことか。北村紗衣は『お砂糖とスパイスと爆発的な何か』(書肆侃侃房 2019年)のあとがきで【「犯罪者は創造的な芸術家だが、探偵は批評家にすぎない」という有名な言葉があります。たしかに、批評家は(中略)あまり独創性がないかもしれません。でも、この本に登場したミス・マープルのような名探偵は、何が何だかわからないカオスから正しいものを救い出してくるヒーローです。私は批評家にすぎませんが、ミス・マープルと同じような仕事だと言われるならばそれは光栄です】と述べた。ここで北村は批評家を「正しいものを救い出すヒーロー」と見立て、世界の真相を看破し、秩序立てて整理する仕事だと語る。これは批評の一側面ではあるが、すべてではない。批評はコンテンツや作品について、背景や枠組みを意識し、理論に基づきながら、一意でないオルタナティブな見方にスポットを当てる行為である。そこには批評家それぞれに独創性があり、複数の秩序が乱立するようなカオス状態すらありうるはずだ。批評というブラックボックスにコンテンツを入れて吐き出される文章や語りは、ひとつではない。探偵が複数人いれば、解決編が複数に分岐するように。

 古野は現在、広報用・交流用のTwitterをやめ、代わりに広報用オフィシャルサイトを運用している。小説や新書の発行以外にも、現実の事件について元警察官僚の視点から解説記事を執筆したり、警察官向け専門雑誌に連載したりしている。一見、Twitterのような読者との交流の場から離れ、かつての職場や一方通行的なウェブサイトに引きこもっているかのようだが、コンスタントに作品を世に出し続けている。世論が炎上作家を積極的に擁護することはないかもしれないが、悪評がそのまま真実となるわけではない。作品を通じた作家と読者のやりとりは、作品が出続ける限り終わらない。読者は作品について、作家について語り続けなければならないのだ。

 お読みいただき、ありがとうございました。

 以前書いた古野まほろの文章をアレンジし、探偵概念と批評家としての読者を取り入れた文章になります。noteでの思いつき文章を縫合しておたよりに変えるというのをやってきましたが、次回は書下ろしでやりたいですね。

ではでは。

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