グノーシス思想に対する新プラトン主義による批判
【グノーシス思想とそれに対する新プラトン主義による批判】
グノーシスの教説にある神話で代表的であり、通常その代名詞とされるのがウァレンティノスの弟子プトレマイオスの教説です。
近代に入って、「ナグ・ハマディ写本」が見つかり、そこでもグノーシス的なストーリーを見てとれます。例えば知恵(ソフィア)についての扱いがそれぞれ異なります。詳しくは本を読んでみてくださいね。
プトレマイオスがこしらえたストーリーを概略してみましょう。
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神は「深淵」「先始元」などと呼ばれる(男性)。彼のもとには「沈黙」(女性)が存在する。限りない時間を無為に過ごした後で、「深淵」は「沈黙」によって「英知」と「真理」を生んだ。「英知」は「ことば」と「いのち」を生み、これらから「人」と「教会」が生まれた。以上の「八員」すべて男女一対となっている。「ことば」と「いのち」はさらに10員を生み、「人」と「教会」が十二員を生んで、全部で30者となる。このおのおのはアイオーン(世界あるいは永遠)と呼ばれ、この全体が、不可視で靈的なプレーローマ(充実界)を構成する。プロティノスの英知界に相当すると見てよい。のちに「キリスト」や「聖霊」なども充実界に生まれた。
十二員最下位者である「知恵」(ソフィア)は、向こうみず(トルマ)なために「深淵」の大きさを知りたいという欲求にとりつかれたが、不可能事であるので、どこまでも進出して消滅するところを、「限界」に引き止められて、「深淵」が不可測であることを悟り、転向して「雑念」(エンテュメーシス)を捨て、充実界に留まった。しかし「雑念」は充実界の外の闇と空虚(ケノーマ)のなかに無形相のまま取り残された。
「キリスト」がこの「雑念」に有的形相を与えたが、認識的形相を与えないまま、充実界に帰った。「雑念」は「限界」に妨げられて充実界に入ることができず、悲痛、恐怖、困惑などの情念のとりことなる。これらはすべて無知に起因するのである。「キリスト」は自分の代りに「救世主」(イエス)を送ったので、「雑念」は認識的形相を得て、情念から脱した。この「雑念」はアカモート(知恵)と名付けられる。
アカモートは、イエスに従う天使たちによって身ごもって、靈的な成分を生んだ。また彼女の情念から素材が生まれ、彼女の転向から魂的成分が生まれた。そして魂的成分から、アカモートは「世界制作者」を作った。制作者はこの世界と人間を作ったが、それはアカモートが、充実界のアイオーンたちをたたえるために、彼らの似姿を作ろうとして、ひそかに制作者をあやつった結果であって、制作者自身は、充実界をもアカモートをも知らなかった。制作者は七つの天の上に住み、アカモートはその上の中位界に住んだ。
人間は素材と魂と靈から成り立ち、この三要素のどれが支配的であるかによって、素材的(カイン型)、魂的(アベル型)、靈的(セツ型)人間の区別が生じる。魂は製作者によって人間に与えられたのだが、靈はアカモートがひそかに制作者に植え付けた種が人間に伝わったのである。
靈的な人間が地上で完全な認識(グノーシス)を得たとき、肉体と魂を脱ぎ捨てて靈だけとなり、充実界に行く。
途中で制作者その他に阻止されるときは、一定のことばを語れば通行が許される。脱ぎ捨てられた魂は中位界に行く。すべての靈的人間が完成したとき、アカモートは中位界から充実界に行き、制作者は中位界におもむく。そしてこの世界は火に包まれて消滅するのである。
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新プラトン主義の重鎮・代表としてのプロティノスですが、彼の「グノーシス派に対して」(「エネアデス」第二論集第九論文(II 9))の内容は、
1 善なる者(一なる者、第一の者、自足者、他者の内にない者)、英知、魂。この三者よりも少ない、あるいはより多い始元を設定してはならない。
2 私たちの魂の三部分への分裂。世界靈魂の統一性とその世界管理の様式。
3 感性界の永久性。
4 世界創造者はあやまちの結果(自分が崇拝されるために)計画的に世界を創造し、後悔してそれを消滅させるというグノーシス派の主張に対して。
5 天体や天球に対するグノーシス派の軽侮。彼らの持ち込む第二の魂。「新しき地」
6 「分かれ住み」「向かい型」「悔い改め」。彼らの所説の正しい点はギリシア哲学から取り入れられたものである。彼らがプラトンを誤解した点もある。彼らが独自に立てた説は間違っている。その主要なもの六点。
7 世界の永久性。世界靈魂が世界を管理する様式。個別者の受ける災い。
8 世界は英知界の自然必然的模像で、模像としては非の打ち所がない。天体の神性。この世界を非難するグノーシス派の矛盾。
9 配分の不平等やあやまちの存在。勝者と敗者の別。不正を受けること。行為には必然的にむくいが伴う。グノーシス派の唯我独尊的主張と神々に対する軽侮。
10 グノーシス思想を信じる人がプロティノスの周辺にいる。この論者の目的と性格。グノーシス派の世界創造論。
11~12 これに対するプロティノスの反論
13 存在と価値に階層があり、低段階が高段階に等しくないからといって、非難すべきではない。天球の与える災いについての彼らの謬見。悪も、より少ない善である。
14 彼らによる英知界の冒涜(呪文を唱えて神々を瞞着しようとする。病気を呪術的に癒そうとする)。グノーシス派との対比におけるギリシア哲学の性格。
15 グノーシス派の彼岸否定から帰結する徳性無視と放埒な生き方。徳性抜きで神を語ることのむなしさ。
16 かの世界を敬愛する者は、この世界をも敬愛する。彼らによる、この世界に対する神のはからいの否定。
17 この世界から物質を捨象して残余を観想せよ。この世界の美から、かの世界の美に想到せよ。人の内面の美と外面の美。世界の一部分の美と全体の美。
18 肉体的なものに執着しないで、この世界を肯定しつつ、かの世界に行く日を待たねばならない。
あなたはどう思われますか?
でも、今時プロティノスの作品を読む人ってどれくらいいるんでしょうね?w