横浜建築さんぽ①
横浜の開港(1859年)から約160年が経っています。
まちの歴史としては短いですが、横浜が開港してからのこの約160年は日本の近代史そのもので、その証拠は横浜の町に刻み込まれています。これが横浜の魅力とも言えるでしょう。
特に、山手、関内の地は近代史の舞台であり続けた場所であるので、ここで何があったのかを当時に思いをはせながら歩くと面白いはずです。
さんぽテーマは、「歴史の舞台となった近代建築の鑑賞」です。
レッツゴー!
今回参考にさせていただいた本は、以下です。
他にもたくさん色んなコースが載っていて面白いです。
足が疲れるので、休み休み歩きましょうね。
1 石川町駅(スタート)
丸谷坂を登り、山手イタリア山庭園へ。
2 イタリア山庭園
3 ブラフ18番館
関東大震災後の山手外国人住宅の典型。
明治の頃は露出していたベランダ(西欧人が考えたアジアの高温多湿対策)がガラス窓の内側に引っ込んだのは、日本の冬が案外寒いと感じたから。
4 外交官の家(旧内田定槌邸/1910)
東京・渋谷の南平台から移築した明治の西洋館。
東京にあった頃、この家は某広告制作会社が丸ごと借りており、八角平面の突き出し部分が、いまは亡き堀内誠一氏のしごと場だった。雑誌『ポパイ』『ブルータス』などのデザイン的な生みの親である。
ちなみに横浜山手には、移築を除くと明治の西洋館は一棟もない。それは1923年の関東大震災のせいで、震源地に近い横浜は東京よりも被害が大きく、特に山手は地震加速度が大きかった。
そのような状況からでも、先人たちが力を合わせてまちを復興させ、歴史や文化を守ってきました。また、開港の地として新しいものや考え方を受け入れながら、これまで築いてきた歴史や文化を発展させ、現在の横浜(人口日本で1番のまち)をつくってきたことを考えると、感慨深いものがありますね。
5 カトリック山手教会
ゴシック様式の礼拝堂。
6 カトリック横浜司教館
改装されているが、これは明治の西洋館で、東京の相馬永胤邸(1910)の移築。ベランダや窓のひさしに”明治”が見てとれる。
見に行ってみてくださいね。
次に教会脇の道を進みましょう。
7 山手公園
1870年(明治3)に居留民の要望で開園した日本初の洋式公園で当初は居留民専用でした。
この公園で、1876年に日本で初めてテニスが行われています。
8 旧セントジョセフ・ベーリック・ホール
山手本通りに戻って東へ向かうと、イギリス人商人べーリックの自邸だった山手最大の洋館があります。
このあたりは関東大震災後の昭和初めに続々と建てられた外国人住宅が点在するので、当時の平均的な洋式住宅を見ることができる。
9 横浜山手聖公会クライスト・チャーチ
砦のような鐘塔は中世英国のノルマン様式。石造りに見える外壁は実は石貼りで一部に空襲時の疵痕がある。
10 横浜雙葉中学高等学校(続く)
完全中高一貫校で、神奈川女子御三家の1つです。
山手では、クライスト・チャーチ、カトリック山手教会、そしてこの横浜雙葉中学高等学校の塔が象徴的。
楽しいですね。次に続きます。