滅びようと救われようと

滅びようと救われようと、私の身の上がどうなろうと、私は純粋に神を愛するために行動しつづけようと決意しています。

『敬虔な生涯』ブラザー・ローレンス / CLC出版   P13より引用

この私だと思ってる私が、滅びようと救われようと、身の上がどうなろうと、そんなのは関係ない。

私が純粋に神を愛するかどうかだけ。


私だと思ってる私が滅びようと救われようとどうでもいい・・・
神への愛だけが問題・・
ということが、
逆説的に救いになる感じがする。


それは、
4分裂の結果のなかに見ている分離した「私」が救われようと滅びようとそんなのはどうでもよくて(もともと無で)、

2.5分裂で心から追放した神を再び受け入れることだけが重要だということを受け入れることなんじゃないのか。

滅びたり救われたりする、ゆらぎのあるものはそもそも存在しておらず、
滅ぶことも救われる必要もない、ゆらぎのない神だけが存在していることを受け入れる意志。



↓動画『「心の4分裂」のプロセスを知って原因のレベルに戻る』


私はずっと、
『「私だと思ってる私」が救われる必要がある!!!滅んではいけないのだ!!!』
って言い張りながら、
そのための自分なりの条件を心のなかに網のように張り巡らし、
せせこましく、
狭い場所に自分を押し込みながら生きてきたんだな。


『私だと思ってる私が滅びようと救われようと、そんなのはどうでもいい。
神への愛だけが問題。』

このことへの一致が、逆説的に、私を自由のなかに解き放ってくれるような感覚がある。

何かが大笑いしている。

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