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「会社が認める学び」「学び」とは誰のためのものか?

 自分には今でもわからないものがこの主題。「社員教育に力を入れている」というのが元職の触れ込みであった。かつて経営トップは「勉強は何はなくとも仕事に直接関係なくともしなければならない。仮にウチの会社じゃくなっても生きて行けるだろう」それが、カフェテリアプランの通信教育という形になった。カフェテリアポイントがついて、何ポイントかつくと昇給昇格の権利を得る、というものだった。(必ず昇給昇格するとは言ってない)(そもそもカフェテリアって人事昇給昇格をからめるモノか?)ある時から「英語をやれ、TOEICで点を取ると昇給昇格する」という脅迫のようなものが加わった。

 なぜ、英語に限定する?「勉強は何はなくとも仕事に直接関係なくともしなければならない。仮にウチの会社じゃくなっても生きて行けるだろう」じゃないの?同じ疑問を持つ人が居たかどうかはわからない。なにせ「周囲は皆敵」「いかにして出し抜くか」の社畜会社である。経営層の海外志向があったのは間違いない。なら、英語だけではなかろう。元職には英語堪能なクズは何人もいたのだ。英語で会話はできても技術的な話されるととたんにわからないので、技術者同士で話させた方がいい(技術用語は世界共通なのでけっこう通じる)ケースは多々あった。その海外志向がたたり、リーマンショックのダメージはかなり深かったのだが、それよりも本稿は「学び」である。

※つい最近出てきた #リスキリング 元職はこの #リスキリング をやらせるつもりだったようである。
リスキリングとは リカレント教育との違いとメリット - NHK みんなでプラス

 「学び」とは何か? https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784004315964 【「学び」とはあくなき探究のプロセスだ。単なる知識の習得や積み重ねでなく、すでにある知識からまったく新しい知識を生み出す。その発見と創造こそ本質なのだ。】

 何のために学ぶ?   https://bookmeter.com/books/15194791 「学びとは、盗まれることのない財産である」お金や資産はだれかに取られてしまう可能性があるが、自分の頭にある学びは、はがそうとしてもはがせない。絶対に盗まれることのない財産である。

 誰のために学ぶのか?世のため人のために学ぶのか?愛するもののために学ぶのか?冗談じゃない三流ヒーローじゃあるまいし。自分のために学ぶ。将来のために学ぶんです。しかし、元職で役員はこう言った

「仕事の役に立つ学びしか認めない」

 意味が解らない。子どものときに大人が言っていたことをひっくり返すのだろうか?会社とは、何をしてくれるのか?会社のためにやってきたが、その恩恵を得られることもなく、対する仕打ちがこれか。自分は教育実習をあきらめた。実際に行けたのは、それから7年も経過して元職を辞めてからである。何を認めるのだろうか。会社とは、そんなに偉いのか。それならトヨタのように自分で学校作って自分の思い通りの社畜を育成すればいいだろう。

「学び」とは誰のためのものか?これは皆さんへの問いである。

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