オッサンカメラマンが初めてボランティアに行った話#2
ボランティア(避難所炊き出し支援)は2ヶ月で終わり、2011年8月から知りあった方の仮設住宅へお邪魔するようになりました。
顔を見る、話をする、一緒にご飯を食べる、一緒の部屋で寝る、たまに酒を飲む、で早起きして写真を撮る。
それも支援?
写真と言葉
2011/08/08 08:00-
お世話になった豊間根中学校避難所にご挨拶
「スッカリ静かになっちまったょ。」
2011/08/08 16:00-
夏雲眩しい!
2011/08/08 18:00-
茜 山田港
2011/08/06 16:40-
つらかったね、、ごめんなさい。
2011/10/23-05:30
朝、霧
きれいだなぁ〜。
雨、、駅前。
2011/10/22 11:00-
2011/10/23 14:00- スーパーできてた!
夢みたい。
頑張るGOOレンタカー 出店。
「ココまで津波来たンですよ!」卓三さん。
2011/12/10-
「皆さん写真も流されちゃって持ってないから。」
仲間とポートレート撮影企画と休憩小屋を作りに。@北浜仮設
「人生の友」カメ爺。
この人のアレコレは映画みたいに面白い。
渋谷の百軒店(ヒャッケンダナ)辺りで元祖ホストをしていたり、大親分と近しかったり、、。困った時、悩んだ時の相談相手。
良き理解者。
2011/12/11 07:00- ハート・オブ・ゴールド
「あの晩信じらんないくらい星キレイだったっすょ。だから、もう星空大っ嫌いになっちゃった、、。」
当時、消火活動とご遺体捜索をしていた消防団の『キクさん』の言葉
陸前高田で。
コワカッタ。
キクさんの言葉思い出した。
そして2年目。
2012/02/07
瓦礫撤去作業 港の中、たくさんの瓦礫が沈んでる。
「さっ〜ぶいべ?」
朝、養殖漁師さんたちの集団作業
「お兄ちゃん(オレ??)どっから来た?」
漁師さん平均年齢高い(60代から80代!)ので50過ぎの自分もニイちゃんのカテゴリーに入るらしい。W
牡蠣捌きする「青森屋さん」(本名:飯田さん)
「牡蠣好き? ホレ!喰うか?」
両手いっぱいの剥き身!
今まで食べた中で一番美味い牡蠣だった。
作業場流されちゃったから、壊れかけた倉庫で仕事をしてる。
劇場のような山田湾の夕暮れ
2012/02/07 16:00-
小さな仮設のお店(主に飲み屋)
この日、この場所で小さな骨辺が見つかり、後日DNA鑑定で身元確認ができたのだそうです。
そして一周忌
2012/03/11 14:46-
あのサイレンが鳴り
浜で黙祷
カメ爺と。
「みんなペラ(スクリュー)盗られちゃうんですよ、コヤマさん。」
カメ爺に廃船置き場に案内されました。
夜盗が多い。
哀しい現実。
翌3/12は全てを覆い隠すような美しい雪でした。
2012/03/12 07:40
キセキ
そして13日、キレイに晴れました。
むかし、ご縁のあったひとが亡くなられた
女川に手を合わせに行きました。黙祷
県が違うと復興の進み具合も違います。2012/03/10
BLOGで知りあった漁師さんに会いに行きました。
宮古の親子漁師さん。
どんな荒天でも漁に出る籠網漁師さん。
右にあるのが山田漁師の守り神「大杉様」
2012/07/22
「コヤマさん、海に出よう!海から写真撮ろう!」
カメ爺の八重丸で海へ。
船酔い。
「コヤマさ〜ん!ココ撮んなきゃダメだよぉ!ココ!」
赤平金剛
亀ヶ崎
「どうです!自然は壊れてないでしょ!壊れたのは人の作ったもんだけ!」
大槌・赤浜
「なに写真なんか撮ってんです?」
「いい気なもんだ!」
通りかかった自転車の人に。
(ごめんなさい。。)
ニッコニコ夕陽 2012/07/23 18:00-
2012/07/24 04:00 朝焼け
フライ旗+大漁旗は最大限の歓迎の印らしい。
カメ爺の八重丸。
この頃から町を車で走ってると
「おーいぃ!カメラマン!」
と声がかかるようになった。
「オレの船わかるっぺ!イカ持ってけや!」とか。
笑顔がデッカい!
2012/09
特別な月なのです。
震災後初のお祭りの月だから。
祭りに合わせて若い人たちがたくさん帰ってる。
祭りは3日間続く。
どこにいてもお囃子が聞こえる。
目がしら 熱くなる。
大杉様、暴れる!
荒神様の浜にも静かに日が暮れる。
「写真ていいもんだねぇ。え、コヤマさん!」
「最初判んなかったすよ。ヤダなって。でもね、いいもんだなって。」
キクさんの言葉。
アツいアツい3日間が終わった。
結局いいもの貰って帰る自分。
なんて幸せな「支援」。
「支援されてるのは自分かも知れない」
続く。