信じるものは救われる?と信じる?
最近、運動不足を解消しようと朝夕近所を歩いています。
高校のグラウンドの近くを歩くと野球部の子たちが自主練で走っていたました。インターハイも中止で他の部活の子は見当たりません。
なんだか切ない…
試合させてあげたくても、どうにもならない昨今の状況。
それでも大きな声で挨拶してくれるので、笑顔であいさつをかえしました
どうにもならないけど、何かを信じて頑張る…
がんばれ!心でエールを送りました
◯報われる日は突然に「みっちゃんの物語」
みっちゃん(若い頃のお話を書かせて頂くので愛をこめてこう呼ばせていただきます)は8年ほど前、当時96歳でみおくりまで関わらせて頂いたおばあちゃまです。
関わっている間に様々な逸話を残されました
大好きな方でした。
私が出会った時は、相次いで両足の大腿骨頸部骨折され、長期の入院の後自分で立つことも難しく認知症状もありました。そして何より未婚で身寄りがなく介護どころか介護施設の契約をしてくださる方もいらっしゃいませんでした。
そこで、特別養護老人ホームに措置入所をお願いし、町長の申し立てで成年後見人を決める手続きをしました。
でも彼女は家に帰りたい一心で、施設の職員の方が自宅に泥棒に行くという妄想に取り憑かれてしまいました。
そこで、特養の相談員・スタッフ、在宅のケアマネさん、ヘルパーさん、デイサービスのスタッフ、主治医の先生、本人みんなで話し合い、在宅サービスで措置しおうちに帰ることになりました。
それから4年
歩くこともできなかった方が最後は庭先まで自分で出られるようになりました(この奇跡もまたすごい物語なのでいつか書きたいな)
定位置にすわり庭を眺め梅の木に鶯がきて鳴くことを楽しみにされる生活になりました
そんな中でみっちゃんはいろんなことを語ってくれました。
その中でもみっちゃんの恋バナは、信じるものは救われる?報われる日は突然にやってくる?そんなお話だったのです
◯生涯独身だった裏には哀しい大恋愛の話が…
みっちゃんは4人姉弟の3番目。2人の姉と弟がいたそうです。小さな頃から活発で利発だったらしく、田畑の仕事も体があまり強くなかかった弟より、あてにされていたそうです。お勉強も大好きだったとのこと。
戦時中で教員が不足していたこともあり、学校を出てすぐ代用教員になられたそうです
そこで知り合ったのが大分から来た医学生
恋に落ち結婚を誓い合ったそうです
私が関わった時も、身長140cmくらいの小さくて、ほっぺが紅くてかわいいおばあちゃまでした。だから多分当時はもっと可愛かったのだろうなと思います。
ところが、戦地から弟が結核になって帰ってきました。
姉たちは嫁ぎ満洲へ行っていました
誰もいない中でみっちゃんは家を守るために、弟を守るために実家に帰らなくてはならなくなりました
彼は大分の実家の病院を継がなくてはならない身
実ることのない恋でした
別れを告げ、弟の看病を必死でしたそうです
そのおかげで弟さんは寛解し、教員となり結婚し2人の子供に恵まれました。ところが30代で早逝し、苗字はそのままでお嫁さんと子供たちは実家へ帰ってしまいました。だから、みっちゃんが生家を守らなくてはいけなくなったのだそうです
大好きだった?と聞くと大好きだったと
一人で寂しくなかった?と聞くとやることいっぱいだったからと言われました
でもここでこの話は終わらなかったのです
◯突然の来訪〜奇跡の再会〜
70歳を過ぎたある日。
その日は突然にやってきました。大恋愛の彼がみっちゃんを訪ねてやってきたのだそうです!
彼は医者となり、実家を継ぎ結婚し子供にも恵まれました。奥様をみおくり病院を息子さんに譲ったあと、みっちゃんを探し続けていたのだそうです
それから彼の自宅に1年のうち3ヶ月ほど行き、一緒に過ごしたそうです。彼が亡くなるまでの間それは続きました
リュックを背負い両手に荷物を持って大分に向かうみっちゃんの姿を時々主治医の先生も見かけたそうです
とても可愛らしかったと
人生何が起こるかわからない!すごいねって
戦争中でなかったらとか、お姉さんたちがまたお嫁に行ってなかったらとか恨み言で生きてきていたら、暮らしも荒んでいただろうし、実家を守り続けていることも難しかっただろうし
そしたら彼もみっちゃんを見つけることはできなかっただろうと思います
そしてまずは生きていかからこそ50年後に恋が報われるなんて奇跡を経験することができたんだろうと思います
「たられば」の想いは多分あったはず…それでも腹を決めて自分なりに真摯に生きてきていると、報われることってあるんだなあって思いました
◯みおくりの時
みっちゃんはなくなる時も見事でした。
予感があったのか救急車を自分で呼び主治医のところに行きました。
家が大好きな人なのに今回はなんだか違うとといい自分で大きな病院での検査を望みました
ヘルパーさんが荷物を持ってくると廊下まで聞こえる声で、いつものみっちゃん節で「看護師のあなたのいうこともわかるが、患者には患者の言い分もあるのだからまずは聞きなさい」と言われていたそうです笑
そして、ヘルパーさんにあんたたちのおかげで私の人生は楽しかったとつたえられ3日後にスーッと天に召されていかれました
その後家に行ってみるとコンセントが全部抜かれていて何故だろうと思ったら、救急隊の人に指示されたとのこと。しばらく戻ることができないかもしれないからと言われたそうです
最後までみっちゃんはみっちゃんでした
本当に認知症もあったんです。前の日のことは忘れちゃうことがほとんどでした。
でも生き方はずーっとみっちゃんでした。
そして、彼の古い写真と大分での二人の写真をおかんに入れてみおくりました
ちょっと気が強いので、向こうで奥様と喧嘩になっていないか心配ですが、多分変わらずみっちゃんらしく過ごしていらっしゃるだろうと思います
今どうしようもないこといーっぱいありすぎて、理不尽さに崩れてしましそうになるけれど、みっちゃんを見習って自分なりに自分らしく懸命な生き方をしていれば、誰にでもどんな形かはわからないけれど報われる日がきっとくると信じたいなと思います
そんなことを信じさせてくれるみっちゃんとの出会いは、今だけを見るではなく、だけれども今を自分らしく大切に生きることが未来に希望つなげることになることを教えてくれたと思います
みっちゃん、たくさんの学びをありがとうございました。大好きでした。
皆さんにもこの出会いと感動をおすそ分けできていたらいいな