映画『打ち上げ花火、横から見るか下から見るか』を見て
2018年1月30日、岩井俊二監督の映画『打ち上げ花火横から見るか下から見るか』を観た。
今回、この映画を見た後に、僕と岩井俊二作品との関連性について思いを巡らせてみたところ、意外にも彼の作品を観ていることに気がついた。本作を含めて『Love letter』『PICNIC』『スワロウテイル』『四月物語』『リリイ・シュシュのすべて』『花とアリス』『リップヴァンウィンクルの花嫁』の8作品をすでに見ていたのだ。しかも、『スワロウテイル』は3回、『リリイ・シュシュのすべて』は2回観ていた。僕の中で、岩井俊二は、好きな部類には入っていたのだが、親しみがあるという認識がそれほどなかったので、自分でも驚いた。
本題に入ろう。実は、今回観た映画が彼の作品の中で一番考えさせられた。これは必ずしも一番良い映画だということを意味しない。実際、僕の中では、『スワロウテイル』に勝る衝撃はなかったようにも思える。とはいえ、それに匹敵するくらいの衝撃だったような気もするし、あるいは、気分の問題のような気もする。おそらく、後者の理由が妥当な線だろう。
本作は、「もしも~だったら」という反実仮想モノだ。花火大会の当日、両親の離婚が原因で2学期から転校することになっていた「なずな」は、学校のプールで「祐介」と「典道」が50m競争をし始めた二人のうち勝った方に告白して、駆け落ちするという賭けをひそかに行う。勝負の結果、典道が勝ったのだが、彼はなずなの誘いをすっぽかしてしまい、それを見かけた祐介に賭けの一部を明かし、もし、祐介が勝った時に同じ行動をとるかを問いただす。祐介がどう答えれば良いかと迷っていると、黙って外に出たなずなを捕まえに母親がやってきて、連れ去られてしまった。後悔の念に苛まれる祐介は、なずなが自分に投げかけた問いをもとに、あり得たもう一つの世界を妄想しはじめて…
と、こういう感じのストーリーだった。あらすじだけを読むと「なんだ、単なるロマン懐古ものかよ」とツッコミを入れたくなる。実際に見ていても、確かに、そのような印象を拭えないところはあった。例えば、祐介が妄想するもう一つの世界の中では、なずなと祐介が二人仲良く、学校のプールで泳ぐ、というシーンが美しい技巧によって撮られていた。このシーンに限らず、映画全体を通して、いかにも狙って撮りました的なシーンが多数ある。ヒロインのなずなだけがやけに美少女、というありがちな設定も前述した印象を喚起させる。にもかかわらず、この作品は、徹底して現実的で、その悲哀さを描いていると僕は思う。
祐介の妄想世界の中で、なずなは祐介に駆け落ちを迫られる。生活用品を詰め込んだバックを抱えながら、バスに乗り込み、電車が走る駅まで辿り着く。そこで、なずなが「女の子はどこに行ったて働けると思うの。歳誤魔化して、16歳とか言って」と笑いながら話し、対して祐介は「見えねぇよ」とぶっきらぼうに言い返す。その後、電車を待っている時に、なずなが「あ、バス来てるじゃん、帰ろう!」と急に心変わりをして、学校のプールへと向かうのだ。ここでの祐介の切り返しに注目したい。実は、祐介は、他のシーンを含めた妄想世界の中でも、なずなが話すことに対して、否定的にも捉えられるようなことを言い返していることが多い。これは一体なにを意味するのか。
最初に確認したように、これは祐介の妄想世界である。とするなら、自分にとって都合の良い妄想をしても良いはずだ。つまり、なずなに対して、肯定的なことを言い返し、駆け落ちをしても良いはずなのだ。にもかかわらず、祐介は、前述したような態度をとり続け、駆け落ちはしなかった。これは何故なのか?
それは、おそらく、祐介がなずなのことが心底好きだったがために、「もしも、勝負に勝ってなずなが自分に告白したら」というあり得た世界の中であっても、「なずなに自分の想いを伝えられない」という現実に彼が縛られているからだ。つまり、祐介自身が抱えている「なずなに自分の想いを伝えられない」という現実がある限り、どちらの世界であっても、彼はなずなと結ばれることはなかったのである。その証拠に、現実世界の中で、なずなが母親に連れ去られた時、祐介はなにも出来ずにただボンヤリと眺めていた。だからこそ、その直前に発したなずなの問いが彼の中で反芻され、妄想世界を作らざるを得なかった。しかし、その妄想世界の中でも、結局は、現実世界を別の形で反復しているに過ぎなかったのである。
このように考える限り、本作は「単なるロマン懐古もの」ではない、と言えるのではないだろうか。もちろん、フィルムの快楽としての「ロマン」を僕は否定するつもりはない。学校のプールで祐介となずなが一緒に泳いでいるシーンは、僕も魅了される。だが、そのこととモチーフを取り違えてはならない。こういうことを書くと、シネフィルみたいなのだけれど、僕は僕の解釈で映画を見ているので、大したことではない。
しかし、「ああ、今死んでも良いな」と思えるくらい甘美な映像だったので、良かったことにしよう。
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