シェア
政治広場史 レコナー 第一章 神話時代 天地が分かれない間、世界は混沌としていた。 ある雲間に、2人の女神が舞い降りた。 1人の神の名をホメといい、もう1人の神をオデンヌといった。ホメ神は慈悲の神であり、オデンヌは博愛の神であった。ほかの神々はこれら2神に仕えていた。 あるとき、博愛の神であるオデンヌのちかくにいた、邪神・軍鶏がホメをそしった。その動機は実に些細なことで、ホメへのいたずら心だった。ホメははじめこそ慈悲をかたくなに信じていたが、つ
第二章 古代(西暦2009年頃) ホメ時代 ホメ(まっく等複数名を変更している)は、人間として日本国の神奈川県に生まれた。成長していくホメは16才の時、最初の相手を持った。それはホメの高校の教師で、その教師は横浜市に住んでいた。ホメは学校を卒業してからその教師と関係を持った。その為、別の男と結婚後もホメは横浜の中華街には家族で行くことができない、その教師に結婚した事を言ってもいないし、鉢合わせするのが恐ろしいからでもある。にもかかわらず、ホメは不義の子であるという元
第三章 中世(西暦2010年頃) 後期ホメ戦争 ホメ戦争は終わりが見えず、複数の虐待や過度の残虐な讒謗が政治広場と2chでくりかえされた。さらに、この戦争に参加し特にホメの不倫を邪魔した者の中で、モチタ、ガク、そしてトキワの3人をホメ時代の三志士という。ガクは三重県の男性と考えられており、法律に知識があり、かつスナック通いをしていたことからかなりの高齢と目されている。ガクは、既婚者でもある静岡県のほわ(howa)から淡い想いを寄せられていたが、年齢からもそれを拒否
第四章 近世(西暦2011年頃) ガルマの遍歴 西暦2011年になるかならない頃、北大の獣医学部の学生であるガルマは政治広場の古参の一員であったまみー達から、広場より排斥された。それ以前に、既に開業していた獣医の山田とピグ上で付き合いのあったガルマは、神奈川県の設計業者で独身であった女性ラフと懇意に接していた。ところが、広島の右翼傾向をもつ主婦であるまみーは嫉妬深くこれに干渉しはじめ、かつ、まみーは同じく獣医学の関係者であるところから山田とガルマは同一人物であると
第五章 近代前半(西暦2012年頃~西暦2013年頃) 愚痴広場史概略 愚痴広場は続愚痴広場時代から、複数の登場人物がおりいくつかの出来事があったが、それらの詳述は将来書かれるだろう『愚痴広場史』にゆずり、ここでは政治広場史と関連深い事物のみ追おう。 愚痴広場でもっとも政治広場と関連の深い人物はまよちゃん(タム、汰ム)である。というのも、この人物は東京一極集中の弊害批判という政治論の立場においてレコナーと協働していたことがあるからだ。この人物を当論考ではタムと
第六章 近代中盤(西暦2013年頃~西暦2014年始め頃) レコナー王政前夜 レコナーが広場主導権を奪取してから先ずその治安の回復と向上をめざすに際し、最初に障壁となっていたのはなな一派の残党ならびにとつげき派閥に群れる女たちであった。これらの女たちは政治にはなんの関心もない者も多く、そのうえ広場政治にも無知であって、ひたすら暴虐をくりかえしてその日暮らしをしていた。これらの女たちを政治広場史では阿婆擦れ連(あばずれ連中、あばずれ連)とも呼ぶ。年齢層は幅広く立場も
第七章 近代後半(西暦2013年終わり頃~西暦2014年) 第一次レコナー王政 あばずれ連のうち、最初の懸念が神奈川は横浜女ユークレース(ユーク)であった。彼女は妙齢で東京生まれの誇りを持ち、山形出身で東大卒の選良かつソニーの有能な技術者である父から生まれ、栃木人との混血であった。ユークはとつげきホイホイにかかると見せかけ、そこは生粋の都会人で一定の距離を置きとつげきを冷静に観察していた。ピグを使った出会い行為が規約違反な事もかえりみる余裕のあるユークは、どれほど
第八章 現代(西暦2014年終わり頃~西暦2015年) 奇人Katsudonとレコナー院政時代 レコナー・ちーの二頭政治は、もともと政治意欲が高いとは必ずしも言いがたいレコナーにとっての負担をへらす結果となった。しかも長年にわたる広場政治闘争で20代を終えこの頃30代前半となっていたレコナーは、かつての広場政治においての40代層の傲慢と無能ぶりを省み、できるだけ早いうちに彼より若い20代層以下に有益な経験をつませるべく、己の政権を委譲するつもりでいた。この隠遁欲は