見出し画像

政治広場史 第六章

  第六章 近代中盤(西暦2013年頃~西暦2014年始め頃)

 レコナー王政前夜

 レコナーが広場主導権を奪取してから先ずその治安の回復と向上をめざすに際し、最初に障壁となっていたのはなな一派の残党ならびにとつげき派閥に群れる女たちであった。これらの女たちは政治にはなんの関心もない者も多く、そのうえ広場政治にも無知であって、ひたすら暴虐をくりかえしてその日暮らしをしていた。これらの女たちを政治広場史では阿婆擦れ連(あばずれ連中、あばずれ連)とも呼ぶ。年齢層は幅広く立場も身の上も様々であって、しかもみずからが治安悪化の原因あるいは荒らしの一種であると自覚するまでの知力はなかった。

 あばずれ連の一人、にゃこぶはとつげきホイホイにかかり、既に死に体になっていたことは前述したが、その詳細を述べるまでに次の逸話を紹介せねばなるまい。それは通称・yuri事件である。

 去ること政治広場第一次大戦中、大分と愛知の血統で東京を遍歴しながら貴族として裕福なくらしをしていた、ある女性が広場に現れた。彼女の名はyuri(ゆり、ユリ)といい、年齢はほわ・ナオ・ちくわ・さよこ・おりん同世代あたりと考えられるが、本質的に素直な性格であった。また九州人の末裔によくみられる傾向だが、手当たり次第に人を怒鳴りまわる、侵略を是とするようなかなり野蛮なところもあった(なおとつげきも血統は両親とも九州という)。もしくは武士階級のなごりか、不徳な者を下人と見下しにかかる、レコナー同様貴族にありがちな威厳かさもなくば高踏さももちあわせていたが、同時にその歯にもの着せぬ正直一途まっすぐな性格は天真爛漫ですらあり、広場民の一部から好感とともに珍重される結果をももたらしていた。のちの現代に発表席を独占し毎度そこで踊り狂うところから、いちご姫(後述)により「チンパンジー」とあだ名された、福岡の父を持つ東京の上級官僚の生娘・ともみ同様に、彼女の先祖は西南からやってきているとはいえ、薩長藩閥の流れを汲む特権階級が有するとおもわれる色々な特徴が垣間見られ、要するに大衆とは違ったのである。これらのユリに関する更なる性格分析はかの有名な『ユリの生涯』など、人気高い小説や伝記にゆずろう(2015年段階では未刊)。われわれがしるべきことは、彼女が重要人物であって、粗暴と洗練を兼ね備えた類まれな人物であったということで十分である。この独身女性は広場でとつげきにはじめに興味をもった。いわゆるホイホイにかかるかにみえたが、これには裏があった。ユリとレコナーは互いに貴族であるから、といってもユリが麻生家を親族にもつ血統貴族ならレコナーも親戚に新渡戸家をもつといった共通部分と、同時にユリが中卒で学業を好まないならレコナーは父が慶応祖父が早稲田卒と知識階級の色彩といった相違点もあったが、二人はありうることでかなり互いのよさを認め合った。ユリはレコナーに「あなたは(大衆に比べ立派すぎるので)このような場所にいるべき人ではない」「あなたがもっともよい人だね」と面と向かっていうなら人々には「あれほど正義感の強い人にははじめて会った」と彼への敬意を表し、レコナーはレコナーでユリの義に関する強さを尊重しあるいはその剛毅木訥な性格のよさを認め、なべての相談からユリの係争に際しての援護射撃まで最大級の互助を惜しまなかった。こうかくと恋仲にみえるが、実際は男女ではあっても貴族階級同士に典型的な尊厳ある友情であった。ところでレコナーとユリは、ななによる男をはべらせて独裁を摂る振る舞いの数々を、ななが小学生のころ属しかつ彼女の母も属していた京都文化になぞらえ、まるで芸妓のような行動形質だと考えていたが、ななはあるとき言葉が流暢とは決していえないユリから「芸者」と面と向かっていわれたことについて、ユリへの怨嗟を深めた。これを芸者呼ばわり事件という。るくはなな一派の陰謀を一手に司る闇の側近であったが、ここでななとるくは、ユリへ得意のスカイプ釣りを仕掛けることにした。ななは、とつげきがかつて頻繁におこなっていた、スカイプしながらのピグ無断動画配信にもよく登壇し、「ななちゃ~ん、うたってや」と関西弁であおるうらぶれたとつげきにもアイドルまがいの曲を唄って聴かせるなど妙なる媚態をふりまいていたが、彼女らの真骨頂は他人のスカイプを一派の誰かから録音させその公開という種をもとにだました相手を恐喝する、という詐欺行為であった。といってもそのほとんどは側近るくや、下僕のロジコが教唆していたとはいえ。案の定、とつげきホイホイにかかりやすい心理状態となっていたユリに、ななとるくは配下のとつげきからスカイプの誘惑をおこなわせ、無事成功した。ここで見知ったユリの情報をもとに、なな一派はとつげきへユリとの現実での出会い行為、すなわち彼らの常套手段であるお食事デート謀略をけしかけた。とつげきは兵庫は川西の出で関西人にありがちなけち、つまり吝嗇な性質をもち、デートは初対面以外は割り勘であると豪語、しかしこれは建前で、実際には初対面の場合でも事後請求する、とこれから行われるyuri脅迫事件(ユリ脅迫事件、ゆり脅迫事件、ゆり事件等の呼称がある)であきらかとなるのである。

 yuri脅迫事件

 とつげきはユリを現実での出会い行為に誘い出した。これはアメーバ利用規約に抵触しているが、サイバーエージェントの運営は不干渉であり、広場で唯一の与党権力であるレコナー派が広場自治行為の域内で取り締まるほかない状態であった。事件当時のユリはとつげきホイホイにかかり、幻惑され、正気を失っていたためあっさりとこれにのるかにみえたが、さすがの貴族でみずから怪しいと気づき、約束前日に断った。するととつげきは激昂、食事するレストランから請求された予約解除料金1万円を返せとユリへ迫りとつげき一派総出で脅迫しだした。その構成員はにゃこぶ、その頃にゃこぶに淡い思慕を寄せとつげき派閥に連帯していたがとつげき一派からは無下にされていた兵庫の病気がち元塾講師・crio(クリオ)などであり、とつげき一派はデートを誘惑するなかつかんだユリの個人情報をあげつらいながら、彼女の電話番号に何度か悪戯電話をかけたり、性に関するもしくは顔の写真を入手した為それを無断公開するなどと嘘をつきながら彼女へ精神的に圧迫をあたえつづけて復讐した。とつげきは既に不惑付近だがマザーコンプレックスで、母をママと呼び頭が上がらないうえに、わざわざ東京下町で暮らすとつげきの部屋まで兵庫から母親がやってきて毎度掃除している始末だった。とつげきに掃除ができない、あるいはあまりしないことは、ピグを通じたとつげきの下宿にあがりこむ出会い行為で通帳や印税収入、給与明細をその目で確認するなど金に目がない悪女にゃこぶから何度もからかわれ暴露されていたが、ここでにゃこぶと呼ばれる当の人物についていま少し語ろう。この酔っ払っていることも多い千葉女自身がよく広場で語る世情話を要約すれば、父が熊本人の警視庁勤め、水戸の祖母をもつが東京生まれで、今は都内の受付嬢をしており、ファミレス店長の彼氏に浮気され別れて以来、彼氏と命名したとされる犬の名前「にゃこぶ」を名義にしている。ところがこの女は身持ちがわるく、性売買の唯我をダディと呼び不良のハシナオとつるんで広場民を手当たりしだい罵倒してまわるといった風情、ユリはあるときにゃこぶから「足をおなめ」と命じられ彼女をばい菌がうつりそうであると評していた。そればかりか、にゃこぶ自身が当のとつげきを「子供に家庭内暴力を振るい、隔離しないと切れるタイプ」と評し結婚など無理と解析しながら、毎度のようとつげきの家に上がりこんでは大層評判のわるい下品な酒飲み配信をする体たらくである。にゃこぶの得意技は「きちがい」とひとびとを罵倒する暴言で、彼女が気に入らないすべてのひとにそうであったが、後述のozashiki(オザシキ)もユリも、レコナー派の大多数すら、とつげき派に与しないほぼ皆がにゃこぶによってそう誹謗されてきた。ユリがいうにはにゃこぶは「いじめ日本一」であり、上述のユリへの個人情報さらしを種にした脅迫はにゃこぶが主犯格とされ、京都の性悪小娘KONA(コナ、こな)とともに、面白半分にユリの精神状態を危機においつめるべく、インターネットと現実上でくりかえしその痛罵は執拗におこなわれた。唯我の弁では、にゃこぶはなな一派とも不仲、互いに陰口をいいあい、そのような性質でななは現実についても不登校になったのだとされる。なおにゃこぶは高卒であるが、低学歴を嫌う学歴劣等感の激しいとつげきは女は馬鹿である方がよい、とのべつまくなしにのべる性差別主義者であって、結局のところ政治広場史上の最終解釈として、とつげきはにゃこぶを懐柔しやすいために利用し、にゃこぶはとつげきを浮気された彼氏の代わり暇つぶし相手にしていると考えられている。ところが彼らはともにうつ病の気があり、とつげきの現実の部屋でいつものスカイプをネット配信中ににゃこぶが自殺願望を語り始め、聴いていたある人が緊急通報した為、現実のとつげきの部屋には救急車と警察がやってくる大事件となった。これをにゃこぶ狂言事件またはにゃこぶ自殺未遂事件という。

 いずれにせよユリは精神的に追い詰められており、再登場後の勇者レコナーにある早朝、愚痴広場にて、政治広場と現実の両方でとつげき一派から脅迫罪をされているとの旨、相談もちかけた。レコナーは親身にこれを聞き取るやユリを援護しレコナーが人事院、ユリが警察へと手分けして通報する手管を整えていたが、その最中、とつげきの匿名サブと考えられているアバターが二人の間に割って入り、ユリを彼の部屋に連れ出した。レコナーは構わず人事院に通報していたが、その後にユリのアメーバ上のメッセージがレコナーに送られてきたところによると、当のとつげきサブとおぼわしきアバターは是非ともそれらの通報をやめるよう懇願してきたという。こうしてユリは警察に通報することを取りやめたため、とつげき派閥すなわちとつげき・にゃこぶ・KONAそしてクリオらが現実の監獄に入るないし科料を警官に懲らされる事態を免れたのであった。ユリはこのあいだに精神を病みかけ、精神科を受診するか、さもなければ自殺をおこなうかのおぞましい瀬戸際までおいつめられていたが、レコナーの支援によって再び政治広場へも復権していく。その第一歩が、ハシナオ討伐であった。

 ハシナオ討伐並びにゆうちゃん脅迫事件

 なな一派はとつげき派閥だけではユリからの芸者呼ばわり事件への復讐を完遂できないとみるや、いわゆるちんぴらの一種と堕していたハシナオを呼びつけて同様の策謀を吹き込んだ、もしくは、なな一派内でそれを誘発するようにおわせた、と政治広場史では考えられている。これをハシナオけしかけという。その頃、ユリは猟奇ポルノマニア公務員、暴力的京都男のozashiki(オザシキ)と親身となっていたが、これは両方とも不幸な生い立ちをもつことによる同情の念の為であって、次第に性愛の関係となっていた。オザシキはユリ同様、広場民を暴威してまわったり、かつ公然猥褻目的で女子ピグを付回したり怪しからぬ振る舞いが多かった為に、ハシナオやKONAは彼の素行を問題視していた。そのときユリがとつげきに袖を振ったとわかると、ハシナオはユリをオザシキから保護する名目をたてて現実でのデートにスカイプを通じて誘った。しかしユリは、ハシナオによるローゼンやレコナーら広場民への既往の暴力傾向を多少あれ目撃していた上、オザシキと先に約束があったとしてハシナオの無礼を理由にこれを断った。ハシナオもとつげき同然に激怒し、スカイプ録音の内容を公開するとユリを脅迫。ユリの復権を目指し政治広場に登壇しその場に居合わせたレコナーからこれを指摘されハシナオは防戦したが、道理に歯向かえる刃なくして呆気なく敗残した。こうしてユリは当人の愛するオザシキと結婚に向かう。レコナーはオザシキの様々な形跡、特に猟奇ポルノに関する好みの面からユリにそのむね注意するよう、或いは何か起きたら相談するようにと最小限度の忠告はしたが、ユリの自由意志と素直な感情を尊重した。これは後のユリ再登場の際に、ナオ(ハシナオと混同を避け、長野ナオと記す事もある)もかすかに絡んだ、京都陣営に与するユリの政治的意思が微妙に介在しているといえなくもない、彼女の人生を懸けた壮大な結婚劇であるともわかるようになるのだが。他方、ななはあるとき広場にやってきて、ユリがオザシキと現実で婚姻に向かうとみるや、オザシキはどうみても異常者であると周囲に断定し、健康不安や掃除不能などいくつかの面で事実そうでもあったようだが、かえってオザシキとユリの配偶関係はユリの不幸の原因となると憶断して小躍り喜んだ。こうしてユリ脅迫事件を芸者よばわりへの復讐として行っていたなな一派の陰謀は、なながオザシキを軽蔑していたために終焉したのである。

 しかしながらとつげき一派は次のホイホイの標的を探し続けていた。奄美から上京してきた粗野な気質を持つ、およそほわ世代の独身女ゆうちゃん(以下ゆう)へとつげきは同様の手口で誘惑、それをふぐに邪魔されゆうが断るやまたも脅迫をはじめた。ゆうは敗残し、今度は石川の2chねらー(2chを頻用したりその内容を信じるものをにちゃんねらーという)にして田園蔑視の陰湿な性向をもつ、フィギュアオタクの独身男ボンヨとひそかに東京ディズニーランドでのデートを行ったが、見合いには至らなかった。このとき性売買を趣味とした大阪上がりの高卒・東京下町商人yumenokuni(ユメノクニ、夢の国、ゆめ、ユメ)らと親しい、静岡の大学生女ダコタが、ゆうを援護していた。実はユメノクニもなな一派からのけしかけにのまれ、とつげきホイホイ同様にゆうを誘引していたのである。また、ふぐはとつげき・ユメらの合同コンパ(要は集団での出会い行為)を半ばやっかみを含めつつ意図的に邪魔した因果から、広場でにゃこぶ、クリオ、ユメノクニを含むとつげき一派からの怨嗟をうけ、総攻撃にあうことになった。このためレコナーがふぐへ直接救援を申し出ると、気の狭いふぐは、前々から発表への細かな揚げ足取りで事実上の対立関係にあった名演説者レコナーへ向け「真っ平ごめん」とこれを断った。こうしてふぐはとつげき一派から即座に敗退、その後、レコナー救援部隊からのふぐ蘇生を目指す懸命な医療活動が行われたが、ふぐは周囲の派兵を一人ひとり分断して部屋に呼び出すや、レコナーへの陰口をはじめた。しかし医療専門の部隊がこれへ容易に乗るはずもなく、ふぐは憎しみまみれの捨て台詞を吐いて失踪、広場から事実上の半引退状態になってゆく。レコナーはほぼ同時期に愚痴でゆうから相談を受け、ゆうをユリ同様援護することとした。こうしてレコナーを通じユリ脅迫事件の概要を聞き知ったゆうはとつげき一派がゆうを罠にかけたと判断、レコナー派からの陰陽の支援を受け広場政治的に反とつげき陣営となった。レコナー派はその直前にイトキチ征討を大成、広場の与党あるいは最大支配権を獲得していた為、とつげき派閥もここからたやすく覇権をまで奪えず、ここにゆうはふぐと異なり広場から完全に排除されるのを免れた。ところがゆうは恩義の念に無知であるか薄い、もしくは記憶力の低い人物で、これ以後に東京のヤンキーちーちゃん一派に自ら志願し所属する中で、レコナーへ嫌がらせを始めた。こうしてはじめから規約違反の出会い目的女であった出自もそうであったにせよ、近代中盤以後、ゆうは広場の喧嘩系荒らしの一員として数々の乱行に加わるなど、独特のうらぶれた位置づけとして固定していくのであった。広場民のなかには、広場川柳の端々にこれをゆうちゃんのヤンキー化、もしくはゆうのヤンキーナイズと揶揄する向きもあったという。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?