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いじめ加害者の大成功が憎い?ーー不条理を生き抜く術を哲学者カミュとフランクルが激論!

もしも著名な哲学者や心理学者が現代にタイムスリップして、私たちの身近な悩みや疑問に答えたら……?

本日のお悩み

私は学生時代にいじめを受けていて、そのことが今でも心に大きな傷として残っています。最近、昔私をいじめていた人が会社を経営して大成功していると聞いて、正直ショックを受けました。私が苦しんできた間に、彼は順調に人生を進めていたのかと思うと、世の中の不条理さを感じずにはいられません。悔しさもありますが、同時に力が抜けてしまい、どうしていいのか分からなくなることがあります。過去の体験が今もトラウマとなっていて、思い出すたび胸が痛みます。そんな思いをずっと抱え続けるのもつらいですが、だからといって簡単に割り切れるものでもありません。どうやって気持ちを整理すれば、もう少し前を向けるのでしょうか。

本日のゲスト

ヴィクトール・フランクル(Viktor Emil Frankl, 1905-1997)

オーストリア出身の精神科医・心理学者。過酷な環境でも「人生の意味」を見いだすことの重要性を説いた。ホロコーストを生き延び、その経験をもとにロゴセラピーを創始した。

アルベール・カミュ(Albert Camus, 1913-1960)

フランス領アルジェリア出身の小説家・哲学者。第二次世界大戦期にレジスタンス活動に参加しながら執筆を続け、不条理を主題とした作品や哲学で知られる。

対談

司会者:今日は「学生時代のいじめトラウマ」というテーマで語り合います。相談者さんは、むかし自分をいじめてきた加害者がいま大成功していることを知り、世の中の不条理さに傷がえぐられているとのことです。

フランクル:いじめを経験してきた方が、その傷を何年も抱えてしまうのはとても自然なことですね。お相手の成功を見せつけられると、「自分ばかりが苦しい」と感じるのも無理はありません。

カミュ:確かに理不尽だよね。いじめられた側が苦しみを引きずっているのに、加害者が順風満帆だなんて。「不条理」という言葉がぴったりじゃないかな。
相談者さんが「何でこんなに辛いのに、アイツが成功してるんだよ…」と思う気持ちは、“誰か”が公正に裁いてくれるかもという期待があるからかもしれない。でも残念ながら、世界は期待に応えてくれないことが多い。

司会者:相談者さんの気持ちとしては、「報いなんてないのか」「どうして世の中はこうも不平等なのか」と感じていると思います。

フランクル:僕がよく言うのは、「世界の出来事そのものは変えられなくても、自分の在り方や、それをどう捉えるかは変えられる」ということです。でも、これが実際にはすごく難しいんですよ。過去のトラウマって想像以上に根が深いですから。

カミュ:その点、僕の立場は「世の中は不条理なんだから、納得しようとしても仕方ない」という感じだ。世の中は説明のつかない不公正や不幸で満ちている。それを見て、途方に暮れてしまうのは当然だよ。

司会者:なるほど、二人とも少し違う方向から話していますが、相談者さんは今「自分の苦しみは何だったのか」と苦悶しているわけです。たとえば具体的に、どう自分の経験を受け止めたらいいんでしょうか?

フランクル:相談者さんが抱える感情は、怒りもあれば悔しさや惨めさ、自己否定感もあるかもしれません。そういった複雑な感情を見つめ直す。
そのうえで自分の内面に真正面から向き合って、それをどう意味づけるかを考えることが大切だね。まさに「意味への意志」だよ。

注釈:「意味への意志」とはフランクルが提唱した概念。人間は生存や快楽だけでなく、自分の人生に「意味を感じたい」「意味を見つけたい」という強い意志を持っている、という考え方。

司会者:フランクルさんはよく「意味づけ」って言いますけど、今回のケースでどんな「意味づけ」が具体的にあり得るんですか? いじめの傷は相当深いと思うんですが…。

フランクル:僕が言う「意味への意志」は、苦しみ自体を美化するためのものではないんですよ。たとえば、「いじめによって自分はどんな傷を負ったのか」そして、「今後、その傷をどのように役立てるか」を考えてみる。
具体的には、『同じような苦しみを味わう人の気持ちを深く理解できる』とか、『他人の痛みに敏感になれるから、弱い立場の人を守る行動に踏み切れる』とかですね。
いじめの経験を過去の不運で終わらせるんじゃなく、未来の自分の“何か”に変換していく。そうやって苦しみを「自分の使命」や「自分なりの価値」に繋げていくことこそ、僕の言う「意味づけ」です。

カミュ:うーん、なるほどね。でもそれってさ、相談者が「自分はあんな辛い思いをして、だけどそれを乗り越えて他者を救える人間だ」みたいに意識を切り替えるってことだろ? 確かにカッコいいけど、すぐできるかどうかは別問題だよね。

司会者:たしかに…。傷が深いときに「それでも意味がある」と前向きになれるかって、簡単にはいかない。どうやってそんな境地に至ればいいんでしょう?

フランクル:そこには時間が必要です。そして“対話”が大切。自分一人では整理しきれない感情もあるから、信頼できる友人や専門家、あるいは日記という形でもいい。「自分がこれからどう生きたいのか」を探り続ける行為こそ、実は意味づけのプロセスなんです。

カミュ:僕はフランクルの話を否定しないけど、もうちょっとラディカルな見方をしてみたい。
相談者さんが感じている「世の中の不条理さ」は、どれだけ考えても解決しないわけじゃない? いじめっ子が成功していて、被害者が苦しんでいるのは絶対に釣り合わない。
だからこそ、不条理を不条理として認めながらも「それでも生きる」ことに反抗してみるのはどうだろう。『こんな理不尽な世界でも、俺は歩み続けてやる!』ってことだね。

注釈:反抗(révolte)とはカミュが提唱した、不条理な世界を前にして、嘆くだけではなく、『それでも俺は生きるぞ』と主体的に選び続け、理不尽を理不尽だと知りながら立ち向かう姿勢。

司会者:なるほど、カミュさん流だと、「世界は理不尽」と諦めるところから逆に闘志を燃やすんですね。

カミュ:そう。復讐したり、相手を引きずり落とすんじゃなくて、「自分の人生を失わないために何をするか」を考える。世の中の歯車はどうせ変わらないんだから、それでも自分だけは自由であり続ける、っていう“反抗”の姿勢だね。

フランクル:カミュの言う反抗は、ある種で僕の「意味づけ」と近い部分もあると思う。「意味付け」が「反抗」にもなりうるし、「反抗」が「意味付け」にもなりうる。

司会者:じゃあ、そこから一歩でも進むためにはどうすれば?

フランクル:僕なら、まず「痛みを包み隠さない」ことが大事と言いたい。『あれは私にとって本当に辛かったし、まだ傷が残っている。悔しい、悲しい、憎い…』という気持ちをちゃんと認める。その上で、未来をどう作っていくかを、時間をかけて考えてほしい。

カミュ:あとは、その負のエネルギーを、別の何かに転換できると最高だね。

司会者:相談者さんは「どうやって気持ちを整理すれば前を向けるのか」と悩んでいますが、具体的にはどんなプロセスを踏むのがいいのか、もう少し深掘りしてもいいですか?

フランクル:例えば、紙に書き出す方法を提案します。「いじめられたとき、私は何を感じたのか」「いま、その出来事を思い出すとき、身体や心にどんな反応が起きるのか」――具体的に言語化するんです。そして『では、この傷を抱えている私が、数年後どうなっていたいか』という目標も書き出してみる。
そこから、『この傷によって生まれた自分の強みや、今はまだ見えていないけど得られたかもしれない資質は何か』と問い続ける。自己対話を深めるほどに、自分ならではの“意味”が見えてくるんじゃないでしょうか。

カミュ:ただ、フランクルが言う「意味づけ」のように、明確な価値や理想を目指すのが難しい場合もあるじゃない? だったら、「もうやってらんねえ」と背を向けるのではなく、『これでも生き続ける』という反抗の決意を固めることも一つの手だよ。漠然とした不公平に対して「それでも続ける」という姿勢を持つと、意外に前進感が得られる。

司会者:なるほど。いろいろなアプローチがありますね。フランクルさんは「いじめを経験したからこそ生まれた優しさや共感力、あるいは自分なりの未来像に目を向ける」と。カミュさんは「世界の不条理にムカつきながらも、それでもやってやる」という反抗の意志を育むと。
これ、相反してるようで、実は両方取りもできる?

フランクル:もちろんです。私も「不条理」に直面したとき、そのまま受け入れては折れそうになることがある。でも、そこに対して『自分はどう生きる?』と問い返すのが重要。結果として、「実はこの経験は私を強くし、他者の痛みを理解できる人間にならしめた」と思えた瞬間、人は前向きに変わっていけるんです。

カミュ:ただ注意してほしいのは、フランクル流の意味づけが「苦しみを無理に綺麗ごとにしてしまう」わけじゃないってこと。そんな簡単じゃないよ、いじめられた記憶はずっと重たいものだから。でもそれでも生きていくために、何かしらの拠り所が必要という話さ。

司会者:相談者さんとしては、まだ恨みや悔しさが強すぎて「意味づけ」とか「反抗」とか言われてもピンと来ないかもしれない。ただ、まずは自分の感情を直視しつつ、可能であれば、いじめがあったからこそ生まれた自分の力を探してみる――そんなプロセスが必要なんですね。

フランクル:そうですね。特にいじめは自己肯定感を奪いますから、そこを回復するまで大変な道のりかもしれません。しかし、人間は絶望的な状況でも、新しい価値を見いだす力を秘めている。自分なりのストーリーを書き換える――そこから「トラウマからの再出発」が始まるんです。

まとめ

フランクルの視点:過去の悲惨な出来事の中に「意味」を見出すことで、生きるエネルギーを取り戻す。いじめによって心の傷を負った自分だからこそ、他者の痛みへの共感や、自分なりの使命を持てる可能性があると考える。

カミュの視点:世の中は不条理であり、その理不尽さとどう折り合うかがポイント。割り切れないならば、「それでも生き抜いてやる」という反抗の態度を持つことで、自分を取り戻す。

二人の違い:
フランクルは「人生には発見されるべき意味がある」という立場で、苦痛さえ意味に変える道があるとする。
カミュは「世界は意味を与えてくれない」と考えながらも、『不条理に屈しない生き方』として反抗の姿勢を重視。

どちらも共通しているのは、傷ついた経験をただ嘆くだけではなく「そこからどう未来を作るか」を問い続ける点。相談者さんが抱え込んだ悔しさや悲しみをまず認め、時間をかけて自己対話を重ねることが第一歩となる。

本日のゲストの詳細

ヴィクトール・フランクル(Viktor Emil Frankl, 1905-1997)

オーストリアの精神科医・心理学者。第二次世界大戦中、ナチスの強制収容所を経験しながらも人間の尊厳や「意味への意志」に注目し、独自の心理療法「ロゴセラピー」を確立した。著書『夜と霧』が広く知られている。

アルベール・カミュ(Albert Camus, 1913-1960)

フランス領アルジェリア生まれの小説家・哲学者。代表作『異邦人』『シーシュポスの神話』などで「不条理」というテーマを中心に据え、人間の苦悩や反抗心を描いた。第二次世界大戦中にはレジスタンス活動にも参加し、ノーベル文学賞を受賞している。

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