なぜ百合(GL)が好きなのか大真面目に考えてみた
最近読んだ「安達としまむら」という百合小説が神すぎたので、
なぜ素晴らしいのかということを真剣に考察してみました(上の記事にはネタバレありますがこの記事にはありません)。
ところで僕は生物学的に男で、自分でも男だと思っていて、社会的にも男で恋愛対象は女性のいわゆる”ストレート”な人間です。
そして、性の多様性だとか生き方だとかそういうあらゆることに対して、ただ「それぞれ好きにすりゃいいじゃん」としか思っていません。
ある派閥だとか何だかとかを煽ったり擁護したりしたいわけでもなんでもなく、人間なんだから好きなものは当然違うよね、と。それだけです。
しかし時々男をやめたいなぁと思うことがあって。
これは性転換したいとかそういうことではなく、男特有の攻撃性だとか闘争心だとか過剰な野心だとかそういうのが面倒で。
端的にいうと「男らしさ」とかそんなのが嫌なわけです。
勝手に押しつけてんじゃねぇよと。
他にも、痴漢だとか盗撮だとか、いわゆる弱いものいじめのような、そういったことをするゴミ人間をニュース等で見かけるたびに、自分が同じ男という属性に所属していることに心底嫌気が差します。
他にも調べていたら見事なフレーズを見つけました
…
争いごとも戦いも凶悪事件とかも大抵男が起こしているし、意味のないくだらない競争社会を牛耳ってるのも大体男だし、略奪だとか勝利だとかなんだとか、くそくだらねぇと感じるわけです。
上にちょっと書きましたけど、特に性犯罪なんかほぼ100%男のせいで発生しているし、ただひたすらに下劣で醜悪極まりない極悪非道なわけですよ。
しかし僕は性的欲求そのものを批判するわけではなくて、たとえれっきとした恋人同士であっても、それ本位の人間関係って愛じゃなくね、というか。
それが優位でなくても、性欲と愛は全く別ものなわけであって。しかし通常異性間にはそれらが両方発生するわけで。
ところが!百合ときたらただひたすらに愛じゃないですか(そうじゃないこともあるけども)。
好きだから、というただそれだけ。
それが美しいというかただひたすらに素敵というかなんというか。これが尊いってやつですか。
一切の混じり気がない、純粋にただお互いを思いやる気持ちのみが存在していて。
最初は何だかんだ壁があるけど、しかしそれに葛藤しながら乗り越えていくのはなんて煌びやかで綺麗なのだろうかと。
それに、基本的に男って汚いじゃないですか、僕も含めて(含まっててほしくないけど)。
女性×女性というのは、つまり美しい×美しい=ものすごく美しい。
になるのは当然なわけで。
現実はどうか知りません。なので創作に限った話になるわけですが、だから想像の世界は素晴らしいわけです。
美しいものが好きだということに気がついた
ようは美しいものが好きだ、という結論に辿り着きました。
綺麗なものだけを見ていたいというか、汚いものが嫌いというか。
人間じゃなくても例えばApple製品は洗練されているし、自然界はいつだって均等が取れていて、弱肉強食の中にしかし静寂が存在しているし。車であればセダンが好きです。
乗ったことないですけど、「MAZDA3 Sedan」がめちゃくちゃ美しいなと。デザイナーさんバンザイ。
特にリアのきゅっとした感じが最高に綺麗です。
これが260万円前後で買えるってすごくないですか。お金貯めたら是非とも欲しい1台です。
…ちょっと車の宣伝みたくなってしまいましたが。
全ての調和が取れていて、ただ平和と美しさだけが存在する世界に生きていたいわけですよ。ユートピアとまではいかなくても、無駄な争いはすべてなくて、一切の差別も偏見もなくて。いやマジで。大真面目に思っています。
しかし、これは僕に差別や偏見がないということではありません。人間である以上それらの感情をなくすことは不可能です。なければないほどいいよねとは思っているものの、嫌いなものは絶対にあるし、無理なものは無理です。
だから、何かを書いたり表現したりデザインしたりすることはとても良い心の避難所になるし、最高に心躍る行為なわけです。
何かを表現するということ
みんなもっと自由であるべきだし、好きに生きたらいいと思う、そっちのが楽しいし。
楽しいと生産性も爆上がりするし。良いことづくめです。
以前ゲームは無駄なのかということについて考察して、
こんなことを書きました。
創作の世界に入ることはそれ自体がとても楽しいし、そして自分で作り上げていくことはもっと楽しい。それは僕の場合、音楽と文章が続けていくことができそうだなと感じたことで。
今思えばずっと昔からゲームが好きだった、それはつまり作品世界、創作が好きだったということです。
大学は真面目に選べよという記事に
こんなことを書きましたが、これはしっかり自分と向き合わなかったから発生してしまったわけです。専攻は経済経営とかその辺のやつです。
もちろん現実は嫌なことはあるけれども、ありがたいことにそこそこ充実しているし、完全に嫌というわけではない。
でも完全にそこだけを見て(ビジネスのことばかりを考えて)生きるのは僕にはどうも向いていませんでした。
みんな違ってみんなどうでもいい
落合陽一先生の「みんな違ってみんなどうでもいい」という言葉が僕は好きです。
”好きなものは好きと言える気持ち 抱きしめてたい”
というものすごく有名な詩がありますが、それは実際にそうです。好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌い。
でも抱きしめるほどなのかというか、なんだろう。誰もそんなあなたのことに注目してないし、意地を張らなくてもよくないか、というか。
ただ人間としてありのままに生きていればそれでいいんじゃないのと。
…
半分以上は社会について書いたような気がしますが、そんな感じのことを思いました。
(´・ω・)つ旦