東京に僕の居場所がない|ノンフィクション小説
23区内のカフェ。
確かに座れるけど、しかし店内の食器の音、機械のビープ音、大きすぎるBGM、人の視線、様々なものがあり、とても休めたものではない。
ノイズキャンリングイヤホンをつけるけれども、貫通してくるあらゆる音。
あ、今だれかスマホ落としたな、本を落としたな。
そんなことがある度に本から意識が離れてしまう。
真面目な哲学書、「センスの哲学」という本を読んでいたのだが、しかし陽気なBGMにお邪魔をされて、全く頭に入ってこなくなってしまった。
だから僕は今読書を中断して、これをスマホで書いている。
家に帰ったらパソコンの大きな画面で書き直そうと思いながら。
そうしているうちに、暑いのについクセで頼んでしまったホットコーヒーを飲み干していた。
それも最後の方は冷房で冷え切っていたのだけど、しかし13時56分に流し込むカフェインは悪くなかった。
だから結局、東京に僕の居場所はないのかもしれない。
中野ブロードウェイのエクセルシオールカフェにて。
新宿御苑のようなところでも、確かに自然を感じることはできるけど、人は多すぎるし、結局その後電車に乗って現実に運ばれなければならない。
田舎で本物の自然に触れて、車でカフェにたどり着いて、のんびりと過ごして生きていくことを実現したいなぁ、なんて思う。
人との距離が近すぎること、それは穏やかな心を阻害することになる。
ここまで書いて思ったけど。
これは一体どんな文章なのか?
最近は小説を書きたいと思っているのだけど、中々書けていない。
じゃあ、この文章をノンフィクション小説として公開してしまおうか。
iCloudメモからSafariに切り替えて、ググる。
「ノンフィクション小説 とは」
出てきたものには、
「実際にあった事件や実話に基づいたもの」
とあった。
うん、そのまんまだな。
そもそも。
僕がこうしていまカフェで時間を潰しているのは、時間を潰したいと思ったからだ。
何の時間を待っているかというと、それはヘアカット。
あまりにも早めに着きすぎてしまった。
2時間以上もある。
しかし、このスマホというものは便利だ。
どこにいても、思っていることが自由に書けるなんて。
縦持ちし、二本指で高速フリックし続けているわけだけど、周りの人はどう思っているのだろうか。
そろそろバッテリーが60%を切ってきた。
電池が切れたらモバイルPASMOが使えなくなり、家に帰れなくなってしまう。
あいにく現金は一枚も持っていなくて、クレジットカードしかない。
ATMで引き出そうにも、アプリでしかできないので、本当帰れなくなってしまう。
しかし、そうとわかっていながら書き続けてしまうのはなぜだろう。
カフェが作り出す不思議な空気だろうか。
そもそも、小説の定義ってなんだ?
"
小説には明確な定義や形式はなく、作者が描きたい人間や社会を自由に散文で表現する文学形態である。
"
と、一番初めに出てきたWikipediaには書いてあった。
よくわからないな。
ノンフィクション小説というのもよくわからない。
つまるところ、これは自分で「小説である」と言い張れば小説なのか?
今、僕は目の前で起きたことをそのままに2本の親指を動かし続けているわけだけど、いくらでも嘘はつけるじゃないか。
「中野ブロードウェイのエクセルシオール」と書いたけど、それが事実である保証はどこにもないし。
もしかして北海道かもしれないし、沖縄、なんなら海外かもしれない。
海外にあるのか知らないけど。
だからきっと、読者が小説と思えば小説なのだろう。
今、なぜか対角線上に座ってきたおばさんがハンバーガーらしきものを食べ終えたのを横目に見た。
なんでそこに座ったのだろう。
いや、おばさんも何も、顔をはっきり見ていないので年齢がわからない。
なんとなくそう思ってしまった。
そういえば、ここのお店は時間制限があった。
平日の昼なのだけれど。
僕はどうやら15時までに出ないといけないらしい。
でも、もう一つオーダーすれば問題ないらしい。
どうしようかな。
ちょっとこれは流石にオチを作らないと小説としての締まりが悪いぞ。
なんだろうな、
!
ちょうど今、目の前でこけてコーヒーカップを割ってしまった人がいる。
助けに行こうかと思ったけど、身体が言うことを聞かなかった。
なぜなら、そんな人どこにもいなかったからだ。
つまらなすぎるって?
ははは。
うん、あれだな。
これはですます口調じゃないから、小説っぽく見えるのではないか?
どうですか、見えなくなりましたか?
ああ、メタ要素を登場させた途端にこれだ。
そろそろ読書に戻ろうかな。
そう思ったところで、僕はスマホをカバンにしまう。
右上のゲージは残り55%を示していた。
モバイルバッテリーなんて、そんなものは持っていないのさ。
…
お店を出た。歩きながらこれを書いている。
なんか途中にいた外国人であろうおじさんがポスターのように見えた。
あまりにも背景の食べ物の絵と一体化しすぎていたから。
ちなみにこれは、スマホをほとんど見ないで書いている。
指の感覚を頼りに、前を見ながらひたすら2本の親指を動かしている。
綺麗になっているのなら、あとで訂正したということだ。
最近は、やることを詰めすぎていた。
久しぶりに何もしていない。とても清々しい。
駅が工事中だ。
交差点の向こうから、風景の写真を撮っているおじさんがいた。
多分僕はそこに写っているだろう。嫌だなぁ。
許可を取られずに人のカメラに入ることほど嫌なことはない。
まだ時間がある。
公園に向かっている。
2年ほど前に行ったところだ。
冬だった。
10°くらいだったのに、半袖Tシャツにアウター1枚だけ羽織って出かけてしまった日。
寒さに震えながらスタバでホットコーヒーを注文した。そして外で飲んだ。
いや、室内で飲めば良かったのだけど、テイクアウトと言ってしまったし、外の方が好きなんだ。
「中野セントラルパーク」というところに着いた。
そうそう、ここだった。
座っていると、鳩が寄ってきた。
なにも持っていないよ。
三羽くらいきたけど、すぐどこかへ行ってしまった。
1人が好きだ。
確かに寂しさを感じなくもないけど、それでも完全に好きなように行動できるということは、とても気楽なのだ。
でもこれは、確かな関係性が存在している中で1人になるのが好きである、ということであって、完全な孤独が好きであるはずはない。
繋がりがある中での、一時的に切り離された状態。
まぁ、今これを書いている残り51%な命の小さな板ですぐに繋がることはできるのだけど。
ここで、アニメか映画なら突然雨が降ってきて、そしてついでに空から女の子が降りてくるはずなのだけれど、そんなことはないし、隣で話しているおばあちゃんたちは人生について懐古している。
蚊に刺されていやしないだろうか。僕も周りの人も。
そんなことを気にしてしまうあたり、やはり神経質なのかもしれないな。
今日は大学の退学届を提出してきた。
なんだかんだでお世話になった。
これについてnoteを書こうと思っていたのだけれど、この日記なのかエッセイなのかノンフィクション小説なのか分からないものの執筆に夢中になっているせいで、しばらく時間がかかりそう。
隣のおばあちゃんの電話が鳴った。
独特なサウンドだ。見てはいないけど、ガラケーかな。
でも蓋を開けるときの「パキッ」という音がなかったから、違うのかな。
鳩がまた寄ってきた。目が合った。以外とつぶらな瞳をしているのだなぁ。
アイキャッチが思いつかなかったから、ちょうど良いので撮らせてもらう。
後ろを向かれてしまった。
ここまでで、面白い文章ができているといいな。
そろそろ移動しよう。
こうして僕はまた日常に戻る。
いや、今も日常なのだけど、でもこうして文章に向かい合っている時は、外界から隔絶されている気分になる。
自分の内面だけに向き合っている。
こうしている間だけ、この街に居場所ができた気がする。
それは、文章の中に生きるもう一人の僕だ。
新たな扉が開く時は、いつだって突然。
なぜこれを書こうと思ったのか。
それはカフェで読書に集中できなかったから。
そうしているうちに、僕は自分の脳と小さな板の中に、新たなる人生の始まりを見出した。
次はどんな物語が待っているのだろうか。
追伸
自室のPCの前で
写真はハトを切り取って使用しました。
苦手な人もいるかもしれないので。