
典型的な生き方を極める:合理性と知的好奇心の旅路
自分が「典型的」であることに気づいて
私は、自分がちょっと特殊な人間だとずっと考えていたのですが、最近「コンストラクタル法則」という物理現象を学んで、実は自分は典型的なモノ(この法則では、有機物と無機物を区別しない)だということに気が付き始めました。まずは自分のこれまでについて書いてみます。
気づけば、私は驚くほど「典型的」な人生を歩んできたように思います。学生時代にITバブルの影響を受け、プログラミングを学び始めたところから始まりました(ちなみに学校で学んでいる最中にITバブルが弾けて人生が終わったと感じました)。そのまま流れに乗るようにしてソフトウェア技術者の道を進みました(本当は、「向いていないのでソフトウェア技術者だけにはなりたくない」と最終面接で言ったのですが「こいつは見込みがある」と偉い人に勘違いされて配属されました)。そして今では、当時がむしゃらに取り組んでいた経験が、役立っていることに気づくと、まさに私の人生は合理性の積み重ねだと感じます。特にソフトウェアという複雑なプロジェクトをどのように管理するかということを学んだことにレバレッジが効いています。
そして現在、ミニマリズムやFIREという少し前の「トレンド」に乗り、極小の生活設計を目指しています。橘玲氏の『裏道を行け』に書かれていることがまるで自分の人生を描いているようで、典型的すぎて驚くほどです。しかし、その「典型」を極めていくことで見えてくる新たな価値に気づきつつあります。
人生100年時代に向けた合理的な選択
私たちは今、人生100年時代を生きています。働く期間が40年どころか60年以上に及ぶ可能性がある中で、いかに自分らしく、無理のない形で生きていけるかが重要です。私が選んだのは、ミニマリズムをベースにした生活設計です。極限まで生活コストを抑えつつ、自分の知的好奇心を満たす活動に集中する。これが私にとって最も理にかなった選択です。
合理性を突き詰めると、極端な節制になり、自分にとって必要なものを選び取る生活が見えてきます。そして、その生活を支えるFIREを実現することで、さらに自由な時間を確保し、自分の好きなことに没頭できる時間が増えるのです。
知的好奇心が私の原動力
私の生き方の中心にあるのは、何よりも知的好奇心です。読書を中心に新しい知識を吸収し、それを自分の中で体系化していく過程が何より楽しいです。読書を通じて知識を得るだけでなく、それを日々の生活や選択に応用することで、自分自身を「実験台」にしている感覚があります。究極的には自分自身にもあまり興味がなく、試験管の中の観察対象くらいのイメージで自分を見ています。なぜ自分を観察するかと言えば、それしか微細に観測できる対象がないからです。
仮に読書に飽きてしまったとしても、自分自身を使った新しい実験を通じて、知的好奇心を満たしていけるのではないかと考えています。たとえば、生活習慣や学び方を変えてみること、あるいは新しいスキルに挑戦してみることが、次の好奇心を生むきっかけになるでしょう。フィードバックを回すことで、そのフィードバック自体が新しい入力となり、どんどんアウトプットは変わり続けます。冒頭で記載した「コンストラクタル法則」によると、時間が経てば経つほど物事は、より速く、より遠くへ行けるようになるようです(とはいえ、ここでいう時間の経過はとてつもなく長い期間ですが)。
自分が「普通」であることの喜び
これまで、自分は少し特殊な存在なのではないかと思っていました。しかし、合理性を突き詰める中で気づいたのは、私は実に「普通」の人間だということです。むしろ、橘玲氏の『裏道を行け』で記載するような合理性を追求しているだけの損得勘定に敏感な世俗的な人間です。また、「コンストラクタル法則」という物理的な自然の法則に則った生活をしているだけです。典型的なモノと言えます。そのため、その典型的さを活かして、効率的で持続可能な生き方を探求しているだけなのだと感じます。言い方を変えれば、物理法則の奴隷です。
自分が「特別」ではないと気づくことで得られる安心感は、私にとっては意外なほど大きいものです。同時に、その「普通さ」の中にある普遍的な価値を深掘りしていくことが、私自身の幸せにもつながっていると感じます。より速く、より遠くへという物理法則は、(当然、根源的な物理法則だからこそなのですが)私のやりたいこととも合致します。私はこれまで、ずっとより速く、より遠くへ行きたかったし、今もそうです。
典型的でありながら唯一無二の生き方へ
典型的な人生を生きる中で、それを極めることで見えてくるものがあります。ミニマリズムを突き詰めることで、何が本当に重要なのかを再確認し、知的好奇心を軸にした生活を設計することで、日々を充実させる。その結果、自分自身の理解が深まり、昨日よりも今日がよりも面白いと感じられるようになってきました。なぜなら、昨日よりもより速くより遠くへ行けるからです。
こうした生活は、もしかすると他の人にとっても参考になる部分があるかもしれません。私のように追求しすぎるフェティシズムがなくても、合理性を追求しながら自分なりの価値を見つけることで、幸せを感じられる生活が手に入るのではないでしょうか。
終わりなき好奇心の旅
最後に、私にとって重要なのは、知的好奇心を満たすことで得られる喜びです。現在は、この学びの終わりがまったく見えていません。だからこそ、今後も合理性を基盤にしつつ、楽しさを追求していきたいと思います。これは単なる自己満足ではなく、自分を通じて何か新しい価値を見出すための挑戦です。
「典型的すぎる」ことを逆手に取り、極めていく生き方。これこそが、私の選んだ未来の形なのかもしれません。