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裏表ない人間になりたいよねって話。

 お久しぶりです、φです。割と忙しく過ごしているのですが、とても楽しい。

 さらに嬉しいことに、私にとっては「すごい人!とにかくすごい人!」と説明したくなるような方々から、夢みたいなお話をいただいたことも楽しい!

 ほんと、自分って周りの方に助けられているというか、恵まれているというか…自分から行動して行き着いた場所で、びっくりするくらい素晴らしい方たちに出会えています。感謝してもしきれない、この言葉ほど最近の私が思うものはありません。

さて、それはおいておいて。

 タイトルの通りの話を書こうかな、と思います。裏表のない人になりたいな。ちなみにnoteの画像は、私がそれっぽい雰囲気で語っているので選びました。哀愁漂う背中でしょ(笑)

さてさてみなさん、裏表ってありますか?性格とか、人への態度とかに関して。

goo辞書曰く、”裏表”は以下の定義のようです。

1 物の表面と裏面。「紙の―」
2 表面に現れている事柄と、裏に隠されている事情。表面と内情。「業界の―に通じている」
3 一つの事柄が呈する、一見異なって見える二つの様相。「過保護も放任も親の自信の無さの―である」
4 人の見ているところと見ていないところとで、態度・行動が違うこと。かげひなた。「―のある人間」
5 裏を表側にすること。裏返し。「靴下を―にはく」
6 裏と表ほどかけ離れていること。全然違うこと。正反対。

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%A3%8F%E8%A1%A8_%28%E3%81%86%E3%82%89%E3%81%8A%E3%82%82%E3%81%A6%29/

 私が今回書こうとしているのは、4番目の意味の裏表、です。

 裏表のない人になりたいな、っていう想いは、きっと私の過去の経験にある。

 私だって裏表というか、ちょっと違うことくらいはあるけれども。それでも、裏表ない人になりたいなぁと常に思っています。それを願うようになったきっかけを、なんとなーく振り返ってみる。

 前に書いたような気がするけれど、改めて考えてみようと思う。私は塾に小学生の5年生くらいの頃から2年間ほど通いました。それに伴って、携帯電話をもらった。確かお下がりだった気がする。

 大人たちが使っているものをもらうと、自分も仲間入りしたような気持ちになりますよね!当時の私もそんな感じで、”ちょっと大人になった自分”に喜んでいました。ものすごくってわけじゃないけれども(笑)

 ほぼ親との連絡だけの携帯電話です。塾の帰りに迎えに来てくださいだとか、なんとかっていう連絡をするだけ。だから登録してあるメールアドレスも電話番号も、親の携帯電話と、塾の電話番号、家の電話番号、くらいだったと思う。

 まぁそんな感じの携帯電話。メールが来るだけでも、なんだか面白さを感じていました。

 それが変わったのが、携帯を持ってしばらくして、だったかな。割とすぐだった気がする。

 母親からメールが来て、タイトルが不穏で。「ん?」と思いながらも開いた。今思えば、開かなければよかったんじゃないかなぁなんて思ったり、開いたからこそ知れたのだと思ったり、知ってしまったからこそ今があるのだと思ったり。過去は変えられないから、ただ受け止めるしかできないんだけどね。

 一度ももらったことがないほどの長文のメール。びっしり書かれた文字。「なんだろ?」と思いながら読み進めたら、私の名前が出てきた。母親の口調というか、書き方的に父親に宛てたものだと分かりながらも読み進めた。

 要約すると、あなたの娘(私ね)は誰が教育したんだと。どうやったらあんなことになるのかと。親の顔が見てみたい、とかも書かれたメールだったんですよね、ははは。

 衝撃でした、というのも、数時間前どころか数分前に、母親と私は普通の会話をして、母親は私との会話に笑っていたのですから。

 読み終わってから、私がどんな反応をしたか、は正確には覚えていない。確か「メール間違えて私に送ってたよ」と言おうか悩んで、言わなかった。きっと返信されないままあのメールは終わったんだと思う。見なければいいのに、何度も読み返した気もする。読み返すたびに、人って見た目と心の中じゃ思ってること全然違うんだ、って身に染みた、気もする。

 親への不信感が募っていく日々の夜。親の寝室から怒鳴り声みたいなのが聴こえて、あまりにも大きくてびっくりして耳を澄ました。母親の、私への怒りがぶちまけられていた。やっぱりね、という気持ちで部屋に戻った。ぐらぐらしていた親への信用が、跡形もなく消え去った瞬間だったんだと思う。

 小学生にしてはとんでもなくヘビーな現実に直面したものですね、なかなか(笑)

 それからというもの、いろんな衝突があって。ハンガーストライキみたいな感じで、摂食障害になったんじゃないかなぁなんて最近は思う。いまいち覚えていない。でも、理由として母親の存在が核にあることは確かだったりする。それを細かく言語化することが、私にとって良いことにはあまり思えないから、しないけれども。

 母親が、数年前に論文を簡略化したニュースを私に伝えてきた。「発達障害って摂食障害を併発しやすいんだって!」。ああそうなんだ、じゃあそうかもね、と私は返事をしておいた。母親にとって、都合がいい解釈を見つけたんだなぁと理解した、ということに未だにしてる。

 母親を含め、家族という名前の集団に対して、私は”裏表がある”人なのだと思う。自分で「裏表がない人になりたいなぁ」と言いながらも。

 そういう事実があって、私自身が否定できないからこそ、「裏表のない人になりたい」と私が今広げている私の生きたい世界の人には言いたいのだと、そうでありたいと思っているのだと思う。

 裏表がない、ということは良いことか悪いことかははっきりと私からは言えないけれど、その違いによって傷つく人がいるくらいなら、裏表が無い方がいいんだろうなぁ。必要な裏表もあるだろうし、ビジネス的なもので必要かもしれないし、完全に悪って言い切れるものでもないしね。

 正直程良いものはないとも思うけれども、white lieみたいな”優しい嘘”もまた存在するわけで。いやいや、これはもう嘘の領域だからジャンル違いかもだけれども…ううむ難しい。

 冒頭に述べた通り、優しい人に出会うたびに、私自身も優しい人でありたい、裏表のない人でありたい、誰かを助けられる人でありたい、そう思います。自分の経験からそう思っているかもしれないし、自分自身が生来持つ傲慢さや身勝手さ、冷たさを自覚しているからかもしれない。

 正直者が馬鹿を見る、という言葉はありますが、馬鹿を見てもひどい目にあっても正直でありたいものです。

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