結局コーチってなにするの?
どうも、明るくなるような話をしたいのだけど、どうもトーンが暗くなりがちなコーチ、亀田です。
いや、性格はそんなに暗くないんだよ、まじで。
たぶん、きっと。
最近、SNSなんかでは特に、コーチと名乗る人は僕も含めてめちゃくちゃ増えました。
その中身や定義はどうあれ、結局コーチングってなんなの?という疑問は当然だと思うし、それに応えるようなコンテンツも目にするように。
noteにも、「コーチングとは?」に答えているコンテンツはたくさんあるので、興味がある人はぜひ調べてみてほしい。
コーチングは対人支援の一種であり、課題を解決する手段の一つでもある。
だけども、無形サービスゆえ、その実態はわかりにくいし、怪しい、眉唾という意見があるのも理解はできる。
実際、メリットやベネフィットを提示しにくく、一見それっぽいことを言っていても、実際問題わかりにくいものだろう。
そもそもコーチって、「答えはあなたの中にある」と言うけど、だったら自分で頑張るわ、という意見があるのも理解できる。
じゃあ、にも関わらず、亀田はなぜそんな「わざわざお金払わなくても自分でできそう」なコーチングに人生をささげているのか。
亀田なりの定義や特徴づけをしていってみたい。
コーチングに興味があるけど、結局なんなのかわからない
受けようと思ったことはあるけど、なんか怖い
みたいな人の役に立てば幸いだ。
「答えはあなたの中にある」の意味
さて、まずはよくある常套句から考えてみよう。
答えはあなたの中にある。
これは本当によく出会う。
僕も言っているし、実際そう思っている。
けど一方で、答えは自分の中にはなく、外から教えてもらうことで到達できることがある、という主張もある。
これはこれで正論だと思う。
どっち!!!
って感じだと思うので書いてみるが、これはそもそもの問いの出発点が違うと思っている。
・答えは外にある=(程度の差こそあれ)万人に共通する物事に対する問い
・答えは中にある=あなたはどうなりたいのかなど、検索しても出てこない問い
知識を引っ張り出す問いなのか、答えを創造する必要がある問いなのか、と言い換えてもいい。
むろん、コーチングは後者を扱う。
たとえば仕事のやり方や、マーケティングに関する知識など、ある程度ノウハウとして確立しているものは、確かに外に答えがあるケースが多数存在する。
僕も支援を受けているので、そういうときはアドバイスをもらうことだって多々ある。
だが、そこに到達するにはまず、自分が何をしたくて、どうありたくて、何を望むのかといった、絶対にGoogleが教えてくれない問いに答えるからこそのケースだってある。
単純に「売れる方法」とかなら別だろうけれど。
自己啓発と揶揄されそうなのも覚悟の上だけれど、人生において、何を為したいのかが大きな課題・テーマとなるとき、これはアドバイスでどうにかなるものではない。
こう考えればいい、ああしろこうしろなどと、言われるのが嫌だから悩んでいるだろうし、その通りにやって出てきた答えに乗っかっても、それは敷かれたレールの上を走るだけの他人の人生とはいえまいか。
それならそれでいいけれど、きっとここまで読んでくれたあなたは、そんなものを望んでいるわけではないだろう。
価値はわかりにくい。
物理的に査定できるものではないし、それがわかったからって稼げる種類のものでもない。
だから、お金は払えないだろうか。
コーチは何をする人ぞ
そうなると、コーチとは何をする存在か。
問いやフィードバックを駆使して、クライアント自身の中にある答えを引き出す存在というのが、上記から導き出される論理的な答えだとは思う。
コーチにできるのはここまでで、セッションを通じてクライアントが気づき、何かを変える覚悟をもつなどの変化のきっかけを引き出す。
それを持ち帰ったクライアントが、行動をかえ、思考をかえ、習慣を変えて人生をも変えていく。
コーチができるのは、行動の手前の部分まで。
むしろ、コーチに限らず対人支援の多くが、実はここまでだったりするだろう。
馬を水辺に引っ張ってくることはできるが、水を飲ませることはできない、とはよく言ったものだ。
最後の決断、行動はクライアント自身が選択する。
だから、成果はクライアントだけのものだ。
とりわけ、トラストコーチングスクールでは、クライアントの”意識を変える”ところを目指すコーチングなのが、他のコーチングサービスとは違ったところとは言える。
ここまでが、よくある話で、ここからが、最近僕自身がたどり着いたことだ。
鏡の法則
って、聞いたことはあるだろうか?
一時期本にもなって流行ったから、よく知っている人もいると思うし、コーチングに興味を持つ人はだいたい知っている。
要は、出会う物事は、自分自身の投影だという考え方だ。
これ自身、僕は賛同する立場をとっている。
スピリチュアルな香りがするが、「自責」「他責」という、やっぱり最近流行りの考え方も、結局鏡の法則で考えると自責にならざるを得ないものだ。
じゃあ、なぜここで持ち出したのか。
コーチとしての仕事は、引き出したり、意識を変えたりするところに留まらないと考えたからだ。
どういうことか。
ありとあらゆるものが、自分自身を投影する鏡なのだとしたら、コーチとクライアントの関係もまた「鏡同士」と言えるだろう。
つまり、クライアントの課題は、コーチの課題。
コーチの課題はクライアント課題、ということだ。
もちろん、具体的な事象は異なるし、クライアントに起きていることそのものがコーチが直接関係するという意味ではない。
そういう意味では、課題は分離して関わる必要はあると思っている。
ここで言う、鏡的な課題の捉え方は、構造の話だ。
つまり、”似たような構造にある課題”はきっと、コーチ自身だって抱えているはずだ、ということ。
逆もまたしかり。
ということは、クライアントが何らかの課題に気づき、行動や思考、意識を変えて取り組もうとしている。
ここに直接的に関わることは叶わない。
だけれども、似たような構造の課題はコーチ自身が持っている。
だから、コーチはコーチで、自分自身の課題に取り組む。
物理的には違うことをしているように見える。
だけど思い出してほしい。
僕らは鏡同士の存在なのだ。
だから、コーチが課題に取り組む影響は、クライアントにもきっと何かの影響を与える。
逆もまた同じ。クライアントの挑戦は、コーチに影響を与える。
だから、コーチは、クライアントを覚悟をもって応援すると言うならば、自分自身の課題に真摯に向き合わざるを得ない。
それが、コーチとして”できること”なのではないだろうか。
そして、コーチとしての覚悟とも言える。
このことは、最近クライアントと話をするなかでふと気が付いたことだ。
クライアントが話すその内容は、まさに僕自身の課題でもあったのだ。
内面の承認欲求であったり、課題に対してのあり方であったりが、構造的にそっくりだったのだ。
だから今僕は、コーチとしてクライアントと対話をかさねながら、対話時間でないときは、その似たような課題に対して取り組んでいる。
僕自身の課題が前進したとき、クライアントもまた前進するからだ。
「伴走する」とよく表現されるけれども、伴走とは文字通りの伴走で、相手の課題に対して真摯に向き合うとともに、自分自身も体力気力を削って、自分の課題に取り組む姿勢を表した言葉なのだ。
だから、そういうコーチに出会ったら、きっとそんなあり方を持っているコーチなのだと思う。
そして、僕自身、クライアントとともに、課題に挑み続けるコーチでありたいと思う。
一緒に取り組んでほしい!と思ってもらえたら、ぜひ一度お話ししましょう!
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