盗人にも5分の理を認める
「盗人にも5分の理を認める」
というのは、古典名著の「人を動かす」でD・カーネギーが一番最初に持ってきた章です。
例として用いられているのは、いやいやそれはさすがに理を考えるとか難しくない?というものが多いのだけど、トレーニングとして「理解しに行く」というのは大事なアプローチかもしれません。
理解ができないに対しては、反発や攻撃の気持ちが出てきてしまい、実際にそれを行動に移してしまうこともあります。
ネットで攻撃するもそう。
この裏にあるのは、一種の「恐怖」なのだと思います。
理解できない、だから怖い。
「理解できない」で止まっていることは、自分の今の外には出ないこととも言えます。
結果として理解できないことと、理解しようと思って考えることは、同じに見えて違うものです。
もちろん、どの角度から考えても明らかにおかしいということはあると思うのだけど、脊髄反射で反発するのか、それとも考えてみて、理解しにいってみて、それでもおかしいと反対するのかでは、思考の深さに違いがあると思うのです。
理解できないことの中に、自分の視点や視野を拡げられる種が眠っているかもしれない。
コーチングやカウンセリングをしているのなら、相手にこちらの「理解したい」という想いが伝わりやすくなるかもしれない。
自分自身に対してもそう。
「なんでこんなことを思ってしまうんだ?」で止まってしまいがちだけれど、そのなんで?に答えてみる。
・なぜなんだろう
・自分にこう思わせるのは何なのか?昔の出来事?
問いを立てて、まず自分を責めるのではなく、誠実に答えを考えてみる。
そうすると、自分の真の価値観が見つかるかもしれない。
問いをたて、自分の思考を組み立てることから逃げない。
これをやるだけでも、ずいぶんとメンタルの安定度も変わると思います。
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